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「奪還」のその日まで

蛭川アナ

 拉致被害者市川修一さんの母・トミさんが15日午後、息子の奪還を果たせぬまま、入院先の病院で亡くなりしました。91歳でした。トミさんは今月10日の朝、鹿屋市輝北町の自宅の台所で炊事中にクモ膜下出血を起こして倒れ、市内の病院に運ばれました。15日午後3時22分、家族が見守る中、静かに息を引き取りました。

 トミさんの二男・修一さんは1978年8月、増元るみ子さんとともに日置市の吹上浜で拉致されました。トミさんにとって「修一さんを見た」という北朝鮮の元工作員の証言が心の支えでした。2002年9月、初めての日朝首脳会談で一方的に修一さんが「死亡した」と通告されたあとも、息子の生存を信じ、帰国を待ち続けていました。帰らぬ子を待ち続けて30年。トミさんの願いは届きませんでした。

 15日の夜、トミさんの訃報をニュースで伝えたあと、私も仮通夜が営まれた鹿屋市の葬祭場を訪れました。何時間も泣いていたんでしょう。修一さんの兄・健一さんの目は真っ赤に腫れていました。トミさんはまるで眠っているような安らかな顔をされていました。

 私たちが取材に行くと「ご苦労さまです。お世話になります。」といつも笑顔で迎えてくれたトミさん。あの優しい笑顔が浮かんで涙が止まりませんでした。
 「元気なうちに修一に会いたい」と会うたびに話していたトミさん。健一さんは「トミさんの死」をこう捉えているといいます。

   「お袋は身を挺して拉致問題の早期解決を訴えたんだよ」

 17日に営まれた葬儀告別式で拉致被害者家族会の飯塚繁雄代表は「一刻でも早く解決・帰国させることを約束します。修一さんが残された家族の方に絶対会えることを約束します」と決意を述べました。

 私も「被害者家族の流す涙が、悔し涙からうれし涙に変わるその日まで取材を続けよう」、改めてそう思いました。

市川トミさんのご冥福を心からお祈りいたします。

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