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徳之島で命のたすきリレー

岡本アナ

週末、徳之島へ行ってきました。


米軍基地移設問題に絡み、日米共同声明に
「訓練候補地として検討する」と明記された徳之島。


島では、今も移設反対運動が続いていますが、
「政府は徳之島移設を断念」という報道が一部で流れたため、
島には若干ほっとした空気もあります。
およそ2カ月ぶりに徳之島を訪れましたが、ピーク時と比べ
移設反対を訴える立て看板などは減っていたように感じました。


その徳之島で、
基地移設反対を訴えながら、島を一周するたすきリレーが行われました。


たすきリレーのスタート地点は、伊仙町にある泉芳朗銅像前。
泉芳朗氏は、伊仙町の出身で、
戦後約8年間、奄美が米軍に統治されていた時代に
奄美群島復帰運動の先頭にたっていたリーダーです。


その泉芳朗の精神にならって、米軍基地移設反対の炎を消すまいと、
若者を中心とした島の住民グループが「たすきリレー」を企画。


延べ3000人が、島一周81キロ・60区間でたすきをつなぎ、
「気を緩めることなく、強い運動を続けて行こう」という意志を再び示しました。
天城町の大久町長いわく「徳之島の人は熱しやすく冷めやすい気質」だそうですが、
今回のイベントで再び「炎」が大きくなったような気がしました。


17時間かけて徳之島を一周したたすきは、再び泉芳朗銅像前に戻ってきました。
たすきに書かれた「命のたすき」という文字は、
ランナーたちの汗、そして時折降った雨でにじんでいました。


たすきリレーが終わった後、
小学校1年だった60年前に奄美群島復帰運動に参加したという男性に話を伺うと、
「あの当時は、意味も分からず小旗を振っていたような気がする。
 しかし今度は、私たちが島の子どもたちや若い人たちに
 自分たちの手で自分たちの島を守ろうというメッセージを伝えなくては」と
 日焼けした顔で話してくれました。


また、ある女性は、
「6歳の息子がまた大きくなったら『昔こんなことがあったんだよ』と
 語り継いでいくのかな…」としみじみ語っていたのが印象的でした。


57年前、日本復帰運動で一丸となった奄美群島の人たち。
泉芳朗氏から受け継いだ「美しい島を自分たちの手で守ろう」という精神は、
今もしっかりと徳之島の人たちに受け継がれていました。


徳之島3町長たちは、8月12日に菅総理宛てに
訓練移転断固反対を要請する文書を送ったということです。


きょうもオカポンのブログを最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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