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蛭川アナ アーカイブ

2009年05月10日

樋口杯テニスに出場しました

みなさんはどんなGWを過ごしましたか?
私は第42回樋口杯テニストーナメントに出場してきました。
樋口杯は県内のテニスプレーヤーの頂点を決める大会。
国体の県予選も兼ねた大きな大会です。
去年の大会では3回戦で敗れた私・・・。
今年の目標はズバリ「3回戦突破」です!!。
会場となった鴨池陸上競技場のテニスコートには
岡本アナウンサーをはじめ会社の後輩らが駆けつけ応援団を結成、
あたたかい声援を贈ってくれました。

迎えたシングルス1回戦。
相手は大学生でした。
初戦ということもあり、緊張の上、動きも鈍くイージーミスを連発!
私は相手のストロークに振り回された挙げ句に足がもつれ転倒する場面も。
応援席からは大きな笑い声が聞こえてきました(悲)。

しかし何とか粘ってゲームカウント8-5で勝利しました。
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午後から行われた2回戦にはさらに多くの後輩らが集まってくれました。
事前に「試合の応援、来てくれるよね!」と私に脅され?
なかば「業務命令」で集められた後輩たちです。

でも2回戦は途中まで一方的な展開に。
対戦相手の青年はスマッシュが上手く、追い込まれた私のロブを
ことごとく叩き込んできました。
私は休み返上で駆けつけてくれた後輩たちに少しでもいいところを見せようと
走りに走り、拾いに拾いました。
一時ゲームカウントは3-6まで離されました。
応援席に目をやると「蛭川さん頑張れ!」の手作り横断幕が!!
後輩たちに元気をもらうと、サーブ&ボレーが奇跡的に決まりはじめ、
6-6まで追いつきました。

しかし、相手の青年は格上でした。
強烈なアプローチからネットダッシュ。
スマッシュを連続で決められ勝負あり。
結局ゲームカウウント6-8で敗れ、
私の樋口杯は終わりました。
応援してくれた後輩のみなさん、大した結果は残せなかったけれど、
みんなのおかげで最後の最後までボールをあきらめずに追うことができました。
本当にありがとうございました!!

次の目標は秋に行われる県テニス選手権大会。
去年は予選で敗退してしまった大会です。
今年は本戦目指して頑張るぞ!!


2009年01月04日

あきらめたら勝負はそこで終わり

新年明けましておめでとうございます。
全国高校サッカー選手権大会で県代表の鹿児島城西高校が快進撃を続けるなか、
私も正月からテニス大会に参加してきました。
2日に行われた「新春チャレンジシングルスIN知覧」です。

会場の知覧テニスの森は凍てつくような寒さ。
コートの周りにはなんと霜柱が!!
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大会には高校生から社会人まで約50人が参加、
16組の予選リーグからそれぞれ上位2人が決勝トーナメントに進出しました。

私は予選リーグを1勝1敗でぎりぎり突破。
決勝トーナメントも1、2回戦を勝ち抜くことができました。
しかし迎えた3回戦(その日5試合目)、
相手は県外の大学に通い冬休みを利用して帰省中の大学生。
一時はゲームカウント2-4まで離されましたがその後なんとか追いつき
6-6のタイブレークまでもつれました。
しかし、チャンスボールをことごとくミスした私がタイブレークを落とし、
結局ゲームカウント6-7で敗退。今年最初の試合はベスト8に終わりました。
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大学選抜目指し夢中でボールを追っていた頃から約15年。
メタボ解消のため、去年から本格的に再開したテニスは再び私の生き甲斐となっています。

今年で38歳。
もはや昔のように体は動きません。
相手のガットを切るような早いサーブも打てません。
長いラリーではすぐ息も切れます。

でもネット間際に落とされたドロップショットは
今でも全力で追いかけるようにしています。

たとえ躓いてこけても、足がつっても・・・。

なぜなら「あきらめたら勝負はそこで終わり」だからです。
これは去年秋に行われた県テニス選手権大会の予選で
高校1年生の男の子に負けて憔悴しきった私に
後輩の内田アナ(ウッチー)がメールしてくれた言葉です。

そう、あきらめたら終わりです。
今年もネバーギブアップの精神でテニスも仕事もがんばります!!

2008年12月25日

「修ちゃんの部屋」が再放送されます

今年11月2日に放送したNNNドキュメント’08
「修ちゃんの部屋~北朝鮮拉致・家族の30年~」が
再放送されることになりました。

番組は拉致被害者市川修一さんの奪還に向け
奔走する家族の戦いを記録したものです。

日時は12月30日(火)の午前6:00~6:30です。
是非ご覧ください。

2008年12月21日

もしあなたが選ばれたら・・・

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来年5月、国民が重大な刑事裁判に参加する裁判員制度が
いよいよスタートします。

一般市民の良識や生活の感覚を裁判に取り入れて
身近で迅速なものにしようというものです。

裁判員制度は調書など書証中心の「精密司法」から、
論点をしぼって法廷で心証を形成するための立証活動に重点を置く
「核心司法」への転換とも言われています。

すでに県内でも2300人が来年度の裁判員の候補者に
選ばれています。

「裁判員候補者の通知がきたら、是非やってみたい」と制度に前向きな人、
「仕事が忙しいんだけど・・・。」「法的知識がないけど大丈夫かな?」
「心理的負担が大きいのでは…。」と不安な表情を浮かべる人。
取材を通してみなさんが様々な思いを抱いていることがわかりました。

KYTでは22日午後5時30分からこの裁判員制度に関する
報道特別番組「もしあなたが選ばれたら・・・~動き出した裁判員制度~」
鹿児島地方裁判所の法廷の中から生放送します。

番組では鹿児島の法曹3者のトップをゲストに招き、
制度についてわかりやすくお伝えします。

現役の検察官と弁護士に従来の裁判がどのように変わるのか再現してもらうほか、
法曹3者のトップが市民からの疑問や不安に答えます。

是非ご覧ください。


2008年12月10日

もう1つの3億円事件

「犯人は3人。名前は・・・」

2005年4月末のことです。

公園のベンチに座りながら男性は落ち着いた口調で話し始めました。
最初なんとなく耳を傾けていた私は、
10分もするとノートに必死にメモを取っていました。

事の始まりはSと名乗るホームレスの男性からかかってきた1本の電話。

「3億円事件について話したいことがある。」というものでした。

3億円事件とは今からちょうど40年前のきょう、
1968年12月10日に東芝府中工場のボーナス約3億円を積んだ現金輸送車が
ニセの白バイ警官に車ごと盗まれたという大事件のことです。

私はJR鹿児島中央駅裏の公園でS氏と会いました。
S氏は長く伸ばしたヒゲに触れながら冒頭の言葉を切り出したのです。

「犯人は単独犯ではない。白バイは2台あったんだ。」

S氏は直接犯行にはかかわっていないものの、
盗んだ金をある場所から別の場所に移す作業を手伝わされたというのです。

犯行にかかわった3人の身上経歴、犯行が計画された背景、
犯行前の準備、犯行前と犯行後の行動、証拠隠滅の方法、
盗んだ金の保管と配分、3人のその後、残った金の保管場所・・・。

何を質問しても流れるように自然な答えが返ってきました。
証言の矛盾を突こうとわざと時間を置いて再び同じ質問をしても
「さっき言ったでしょ、それをやったのは○○!」
S氏は整然と答えたのです。

彼の証言はなにもかもが具体的で実際に事件にかかわっていなければ
語りえないと思えるほど真実味を帯びた内容でした。

「ひょっとしてこれは世紀の大スクープなのかな?」

胸が躍りました。気がつくとS氏への取材は4時間に及び、
ノートのメモは7ページを超えていました。

S氏の目的は2つ。
①「犯行にかかわった3人のうちの1人が鹿児島にいる」との情報があり、
一緒に捜してほしい。
②「盗んだ金の一部が残っているので
隠した場所に一緒に行ってほしい」というものでした。

私は連絡用のテレフォンカードをS氏に手渡し、
ゴールデンウィーク明けに電話をもらう約束を取り付けて別れました。
しかし、S氏から再び電話がかかってくることはありませんでした。

その後、在鹿のマスコミ各社や九州各地のテレビ各局に
S氏から同じような情報提供があったことを知りました。

中には「拾ったテレフォンカードで電話している」と
連絡が入った社もあったそうです。
(私が渡したテレフォンカードでしょうか?)

さらにS氏の証言は数ある3億円事件を扱ったフィクションの1つに
よく似たものがあることも聞かされました。

にしても具体的で迫真に満ちたS氏の証言。

その証言が真実か否か、
今となっては確認することはできません。

私は毎年、きょう12月10日を迎えるたびにS氏のことを思い出します。

S氏との出会いは私にとってもう1つの「3億円事件」なのです。


2008年11月17日

「奪還」のその日まで

 拉致被害者市川修一さんの母・トミさんが15日午後、息子の奪還を果たせぬまま、入院先の病院で亡くなりしました。91歳でした。トミさんは今月10日の朝、鹿屋市輝北町の自宅の台所で炊事中にクモ膜下出血を起こして倒れ、市内の病院に運ばれました。15日午後3時22分、家族が見守る中、静かに息を引き取りました。

 トミさんの二男・修一さんは1978年8月、増元るみ子さんとともに日置市の吹上浜で拉致されました。トミさんにとって「修一さんを見た」という北朝鮮の元工作員の証言が心の支えでした。2002年9月、初めての日朝首脳会談で一方的に修一さんが「死亡した」と通告されたあとも、息子の生存を信じ、帰国を待ち続けていました。帰らぬ子を待ち続けて30年。トミさんの願いは届きませんでした。

 15日の夜、トミさんの訃報をニュースで伝えたあと、私も仮通夜が営まれた鹿屋市の葬祭場を訪れました。何時間も泣いていたんでしょう。修一さんの兄・健一さんの目は真っ赤に腫れていました。トミさんはまるで眠っているような安らかな顔をされていました。

 私たちが取材に行くと「ご苦労さまです。お世話になります。」といつも笑顔で迎えてくれたトミさん。あの優しい笑顔が浮かんで涙が止まりませんでした。
 「元気なうちに修一に会いたい」と会うたびに話していたトミさん。健一さんは「トミさんの死」をこう捉えているといいます。

   「お袋は身を挺して拉致問題の早期解決を訴えたんだよ」

 17日に営まれた葬儀告別式で拉致被害者家族会の飯塚繁雄代表は「一刻でも早く解決・帰国させることを約束します。修一さんが残された家族の方に絶対会えることを約束します」と決意を述べました。

 私も「被害者家族の流す涙が、悔し涙からうれし涙に変わるその日まで取材を続けよう」、改めてそう思いました。

市川トミさんのご冥福を心からお祈りいたします。

2008年10月24日

拉致問題テーマのドキュメンタリーを放送します

 11月2日(日)の深夜1時10分から北朝鮮の拉致問題を考えるドキュメンタリー番組が
日本テレビ系列で全国放送されることになりました。番組名は
NNNドキュメント’08「修ちゃんの部屋~北朝鮮拉致・家族の30年~」です。

 2002年9月の日朝首脳会談で北朝鮮が初めて拉致を認め、
翌月には生存とされた5人の被害者が帰国を果たしました。
一方で「死亡」と通告された拉致被害者家族の時計は止まったままです。
 秋までに行われるはずだった拉致被害者の再調査は
福田政権の突然の退陣で暗礁に乗り上げ、
アメリカが北朝鮮に対するテロ支援国家指定の解除に踏みきるなど
拉致問題解決への道は遠のくばかりです。

 鹿児島の拉致被害者・市川修一さんと増元るみ子さんが拉致されてから今年8月で30年。
番組では膠着状態のなかで救出活動に奔走する「家族の今」をお伝えします。
 高齢化が進む被害者のご家族がどんな思いで
修一さんやるみ子さんの帰国を待ち続けているのか・・・。
ぜひ感じ取っていただきたいと思います。

 拉致問題は決して他人事ではありません。
与野党が解散・総選挙のタイミングをめぐり綱引きをしている今、
この瞬間も北の地では私たちの同朋が助けを待ち続けているのです。

 拉致問題の取材を続けて6年になります。
被害者家族のもとを訪れるたびにみなさんの「悔し涙」に接してきました。
私は被害者の帰国が実現し、この「悔し涙」が「うれし涙」に変わるまで
取材を続けたいと思ってます。 

2008年04月28日

チャレンジ精神を忘れずに…

26日、樋口杯テニストーナメントの3回戦に臨んできました。
先週行われた1.2回戦の筋肉痛もほとんど消え、万全の体調で挑みました。

しかしー

相手は一枚も二枚も格上でした。
流れるように美しいスピンサーブはバウンドしたあとバックサイドにキックして打ちづらいこと。
ストロークもフォアハンドは的確にコーナーを打ち分け、
バックハンドはナイフのように切れ味鋭いスライスでした。

一方、私は凡ミスの連続に加え、終始振り回され、結局2-8で敗退しました。
私の20年ぶりの樋口杯への挑戦は3回戦で幕を閉じました。

久し振りの試合はドキドキの連続でしたが、ポイントを決めたときの快感、
相手とのかけひきなど・・・テニスの楽しさを完全に思い出させてくれました。
例のごとく全身筋肉痛になりましたが(笑)

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テニス界をめぐっては私と同じ37歳のクルム伊達公子さんが公式戦への復帰を表明。
27日も見事な試合を見せてくれました。

伊達さんは自身のブログの中で復帰の理由についてこう明かしています。
①「テニス界に感謝」すること。
②「世界のトップで戦える日本人が早く育ってほしい」という願い。と同時にプレイヤー達に刺激を与えたい。テニス界の活性化。
③「チャレンジ」することが好きだと言うこと。

私も伊達さんを見習い、「チャレンジ精神」を忘れずに仕事もテニスも頑張っていこうと思っています。
最後に休日にもかかわらず応援に来てくれた内田アナら後輩のみなさん、ありがとう!とても心強かったよ!!

2008年04月21日

心は歳をとらない

きのう第41回樋口杯テニストーナメントに出場しました。

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「樋口杯」とは昭和23年に鹿児島県テニス協会を設立し、鹿児島県のテニスの普及に尽力した樋口佳雄氏がより一層の選手育成強化を願って昭和43年に寄贈し大会が始まった由緒ある大会です。私も鹿屋高校時代、新人戦ダブルスでベスト16に入った思い出の大会です。

あれから20年・・・。私は37歳になりました。

社会人になってからはほとんどラケットを握る機会もなくなり、最近ではポッコリお腹が気になるようになってきました。階段を上り下りするだけで「ハアーハアー」と息切れし、少し走ろうものならあっという間に吐きそうに・・・。

「このままでいいの?学生時代の鋼のような体に戻りたい!」
「昔のように無心でボールを追いかけたい!!」

そんな思いを抱き去年夏、テニススクール(エルグ)の門をたたきました。

最初はメタボ対策にと軽い気持ちで週に1回のレッスンを受けていましたが、
コーチ陣の高い技術力と指導力に憧れを抱き、いつのまにか
「俺もあんなすごいショットを打ちたい!」と思うようになりました。
以来、この半年間、テニス漬けの生活を送っています。

折りしも今年2月、デルレイビーチ国際で18歳の錦織圭選手が男子ツアーで16年ぶりに優勝するなど日本のテニス界が盛り上がりを見せています。私も毎晩のようにビデオに録った錦織選手の試合を見てイメージトレーニングを重ねてきました。

試合前日の夜には自身の気持ちを鼓舞するため、「ロッキー・ザ・ファイナル」のDVDを借りてみました。ロッキーは私に語りかけます。

「心は歳をとらない」と。

涙が止まりませんでした。
そして迎えたきのうの樋口杯一回戦。

私の強圧的・追及的な誘いを断れなかった会社の後輩たちも応援に駆けつけてくれました(笑)。

お世辞にも美しいとはいえない自己流のストローク、ぎこちないサーブ&ボレー、
本人もどこに飛んでいくか予測不能のバックのトップスピンも奇跡的に決まり、なんとか初戦を突破。

続く2回戦は体力の消耗戦。タフな試合となりました。試合は8-8のタイブレークまでもつれましたが後輩たちの応援のおかげでこちらも何とか勝つことができました。

一夜明けたきょう、私は起き上がれませんでした。全身筋肉痛です。

3回戦は26日(土)。それまでに筋肉痛が治ればいいのですが。次も頑張ります!!

2008年03月28日

キャスターを卒業します

春は卒業の季節です。
実は私蛭川も本日28日(金)をもってリアルタイムのキャスターを卒業することになりました。

4月からは番組の屋台骨であるデスクを担当します。
リアルタイムを裏方から支えていく、いえ引っ張って行く重要な仕事です!

私が夕方のキャスターに就いたのは2005年10月のこと。
当時はまだ「KYTニュースプラス1」という番組名でした。
以来2年半に渡って「鹿児島で今、起きていること」にこだわって走り続けてきました。

特に印象に残っているのはやはり被告12人全員が無罪となった「志布志事件」への取り組みです。
このニュースをめぐっては幾度となく踏み込んだ内容を放送すべきかどうか判断に迷う場面に立たされることもありました(特に無罪判決前)。

そこで「真実を伝え続ける勇気」の原動力となったのは
視聴者の皆様からお寄せいただいた数多くの応援メールやお手紙でした。

この場を借りて改めて御礼申し上げます。ありがとうございました!!
(もちろん志布志事件は真相が解明されるまで徹底的に追及し続けます)

これからは去年10月から私とタッグを組んでもらった同期の近藤キャスターが1人でスタジオを守ることになります。

あたらしいリアルタイムは記者解説や中継を多用し、
これまで以上に「旬でわかりやすいニュース」を目指します!。

私はそのニュースを統括するデスクとして引き続き近藤キャスターを支えていきます。
視聴者の皆様、これからもリアルタイムを宜しくお願いいたします!

アナウンサーは続けますので画面で見かけた際は応援よろしくお願いします!

2008年01月02日

今年はやります!!

新年明けましておめでとうございます。私はきょうが仕事始めです。
それにしても今年の正月は寒かったですね~。

強い冬型の気圧配置の影響で桜島もご覧の雪化粧(元日撮影)。

帰省先の鹿屋から鹿児島市に戻ってくる際、あまりの美しさに車を停めてしばらくの間見入ってしまいました。

さて、私の今年の目標は「昔の体を取り戻せ!!」です。
2月で37歳になるのですが、年々風邪を引きやすく疲れが溜まるようになってきたのです。しかもお腹はタプタプの中年腹に・・・。

「なんとかこのメタボ予備軍からの脱却を図りたい!」

そこで始めたのが「テニス」です。
実は去年夏ごろから週に一度テニススクールに通っています。
高校・大学時代に夢中になってやっていたテニス。
でも社会人になってからは周りにやる人がほとんどいなかったため、ラケットは長いことホコリをかぶっていました。
秋頃から次第に体が動くようになり、最近では思い通りのショットがちょっとづつではありますが打てるようになってきました。

「そろそろ試合に出てみるか・・・」

今の自分の実力を試すため、おととい(2日)知覧で行われたシングルスの試合に出場しました。
前日の夜は興奮してほとんど眠れなかった私。遠足前の子どものようでした(笑)。
この日は朝から小雨が降ったり止んだりのあいにくの天気。
でも雲の切れ間から時折太陽が覗くとこんなキレイな虹が!!
久し振りの試合出場を祝ってくれているようでした。

ところが会場の知覧テニスの森公園に着くとびっくり!!雪が積もって銀世界が広がっていたのです。

気温は3度から4度。外に5~6分いるだけで鼻水が垂れてくるような厳しいコンデションの中、試合が始まりました。私は1勝1敗で予選をなんとか突破し本選に出場できました。

本選では1回勝てたものの、2回戦で早々と敗退しました。ちょっと走っただけで息切れはするわ、
足はつるわで本当に体力の衰えを感じました。しかも試合後、全身筋肉痛に見舞われ、きょうは体中に湿布を貼って出社したんですが、新年早々報道フロアーに湿布臭を漂わせております(笑)。

でも体を動かすことの楽しさ、試合前の独特の緊張感を味わえただけでも大きな収穫でした。
今年はたくさん試合に出場したいと思っています。

もちろん、本職のニュースもがんばります。
今年は視聴者のみなさまが元気になれるような楽しいニュースのほか、リアルタイムという番組名の通り「今起きている」旬なニュースををたくさんお伝えできるようスタッフ一同精進して参ります。

2008年もKYTを宜しくお願いいたします。

2007年12月19日

海づり公園最高!


雄大な桜島を眺めながらの釣りは最高の贅沢ですね~。
おととしの台風で釣り台が水没した鹿児島市の鴨池海づり公園が復旧工事を終え、
今月初旬、約2年3か月ぶりに営業を再開しました。
早速私も息子2人を連れてピカピカに生まれ変わったばかりの海づり公園に行ってきました。




仕掛けは単純。

餌のキビナゴを2センチほどの大きさに切っておもりとともに海底へ沈めるだけ。

すると二男(3)の竿にピクピクッとすぐにあたりが!!
「パパ重いっ!!」
引き上げてみると20センチほどのアラカブがかかっていました。




長男(6)も奮闘し、結局アラカブが大小4匹釣れました。
4匹は煮付けとなり、我が家の晩御飯へ(笑)。



手軽に釣りを楽しめる海づり公園、最高です!!

2007年11月09日

竹かごのぬくもり

しなやかでぬくもりのある竹製品。
素朴で懐かしい感じがしますよね。実はこの竹かご、私の手作りなんですよ。
8日に鹿児島アリーナで開幕した「全国伝統的工芸品フェスタ」(~11日まで開催)の体験コーナーで作ったものです。
網目部分はある程度編み上がったところからスタートしました。
それでも複雑に組まれた竹を見ているだけで目が回り、すぐに手が止まってしまいます。
竹が折れないように霧吹きで水をかけながら慎重に編み上げていくと・・・
職人さんの手ほどきを受けながら、約1時間30分でこんな立派な籠が完成しました!!
丁寧に指導してくださった職人さん、本当にありがとうございました。
竹製品は使えば使うほどいい味が出てくるといいます。
パンを入れたり、果物を入れたり・・・。我が家の食卓を飾る新しい仲間となりました。

大事に使っていきたいと思っています。

竹かごくん!末永く宜しく!!

(一緒に竹かご作りをさせていただいた鹿児島工業高校のみなさん、突然の飛び入り参加にもかかわらず、快く仲間に加えていただきありがとうございました!)

2007年09月28日

リアルタイムが変わります!

きょうからKYTニュースリアルタイムが変わります!先月一杯でKYTを卒業した徳住有香キャスターにかわり、新たに近藤久美子キャスターとともにお伝えすることになりました。私も近藤キャスターも鹿児島出身。1994年のKYT開局以来、夕方のニュースを県出身者の2人がお伝えするのは初めてです。そして2人とも開局1期生なんです。KYTとともに歩んできた2人。新たに生まれ変わったリアルタイムにご期待ください!!

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