うれしい知らせ
うれしい知らせとともに2012年が明けた。
「もしもし・・・」
電話を取った妻の目にはうっすらと涙が滲んでいた。
電話の相手は妻の元同僚の女性。
妻が結婚前に東京で勤務していた会社でお世話になった方だ。
妻は結婚後鹿児島へ。
一方、女性は故郷に戻り家族と暮らしていた。
そこは岩手県宮古市。
去年3月の震災で壊滅状態となったあの街だ。
鹿児島と岩手に離れたあとも妻と女性の交流は続いていた。
毎年季節になると女性からは地元産のイクラが届いた。
醤油漬けと塩漬けの2種類。
醤油漬けの方は宝石のような輝きを放ち、歯を跳ね返すほどの強い弾力があった。
塩漬けのイクラは芳香な濃い味わいだった。
「いままで食べていたものは本当にイクラだったのか・・・」
そう思わせるほど美味い。まさに至高のイクラだった。
我が家からは鹿児島名物“しろくま”を贈った。
そんな何でもないやりとりが何年も続いていた。
あの震災が起きるまでは。
去年3月11日。
テレビに映し出されたカメラの映像に絶句した。
大津波は女性が住む岩手県宮古市の大部分を飲み込んだ。
妻は何度も女性の自宅に電話をかけるが繋がるはずもない。
見るからに街は壊滅状態。
確か女性の自宅近くには川があって、イクラはその川で獲れるシャケのものだと聞いたことを思い出す。
映像を見るたびに絶望感に打ちひしがれた。
それから岩手県警のホームぺージにアクセスして恐る恐る死亡者リストを確認する日々が続いた。
ホームページには膨大な量のリストがアップされていた。
1歳 24歳 90歳・・・
老若男女 津波は様々な世代、多くの命を一瞬にして奪った。
リストは何十ページも続く。
パソコンのマウスを握る手が震えた。
「名前がありませんように・・・」
定期的に検索した。
女性の名前がアップされることはなかった。
妻は岩手の公的機関に女性の安否を問い合わせようとはしなかった。
きっと死を告げられるのが怖かったのだろう。
「きっと生きてるよ」
ほかにかける言葉が見当たらなかった。
去年末―
一縷の望みを託して女性に年賀状を出してみることにした。
女性が生存していて住所変更届けを郵便局に出していれば届くのではないか、そう考えたのだ。
文面をあれこれ思案したものの、気の利いた言葉が浮かばない。
結局こんな文言を添えるのがやっとだった。
「お元気ですか?連絡をください」
年が明けた3日。
待ちに待った女性からの電話が来た。
「生きていてくれた!!」
聞けば震災当時、女性は自宅におらず避難して津波から逃れたという。
だが、自宅はすべて流されていた。
震災前、女性は両親と姉夫婦、その子どもたちと同居していた。
お父様だけが避難所に一旦避難したあと、荷物を取りに自宅に戻って波にのまれたそうだ。
地震から1か月後にご遺体が発見されたという。
妻は電話口でお悔やみの言葉をかけた。
女性は「まだうちはましな方だよ。遺体が見つかっただけでもましな方だよ」と気丈に答えてくれたという。
女性の一家は現在、仮設住宅で暮らしているそうだ。
「寒いでしょ?何か欲しいものはない?」
ただでさえ雪深い極寒の地。妻は何か物資を送りたい旨女性に告げた。
女性は「気を遣わないで」と言いながら、「あのかき氷食べたいな」と話し、涙声の妻を逆に笑わせてくれた。
話し合った結果、まずはさつまいもを送ることに決めた。この時期抜群に甘い安納芋にした。
焼き芋にして冷え切った体と心が少しでも温もれば、そう願いたい。



























