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蛭川アナ アーカイブ

2017年04月23日

KYT天テレ博2017ご来場ありがとうございました!

KYT天テレ博2017が2日間に渡り、
鹿児島市の中央公園と天文館ベルク広場で行われました。

私は天文館ベルク広場のお仕事体験のブースで
アナウンサー体験のお手伝いをさせていただきました。
「アナウンサーになりたい!」という子どもたちが続々と集まり終日大盛況でした。

中には「去年もおととしも来ました!」と言ってくれた子もいて感激しました。

子どもたちに読んでもらったのはチンパンジーの赤ちゃん誕生や
かごしま水族館開館20周年の内容。実際に私たちが放送でお伝えしたニュースの原稿です。
小中学生はもちろん、幼稚園や保育園に通う小さな子どたちも元気いっぱいに原稿読みに挑戦してくれました。

今年は特に「本を読むのが好きです」という子どもが多かったようです。
感情を込めて表現力豊かな読み方をしている姿にとても感心しました。
この中から10数年後、
「KYTのアナウンサーになりたい」という子どもが出てくることを期待しています。

KYT天テレ博2017は2日間あわせて6万人の人出で賑わいました。
ご来場いただいた皆様、心から感謝申し上げます。

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(佐野アナ、二本木アナ、橋口アナとお手伝いをいただいた学生の皆さん)

2017年03月31日

山崎アナと竹ノ内気象予報士がKYT卒業

春は別れの季節です。
この春、KYTを2人が卒業しました。
山崎香奈アナとの竹ノ内静明気象予報士です。
山崎アナは4年間、竹ノ内さんは13年間に渡ってKYTの発展に尽力されました。

山崎アナのニックネームは“山かなちゃん”。
魅力は何と言ってもその笑顔です。

入社試験のときもハムスターのようなスマイルが光っていました。
誰とでもすぐに打ち解け仲良くなれる魔法を持っています。

4年間でアナウンス力もめきめき力をつけ
KYTを代表するアナウンサーに成長しました。

中継の現場ではその場の雰囲気や空気を
臨場感あふれる言葉で伝える表現力に定評がありました。
人知れず重ねてきた努力の賜物だと思います。

山かなちゃんと言えば毎週土曜日午前9時25分から放送中の
「ユメイロ@ネット」で土曜の朝の顔として親しまれてきました。

報道部の部員はみんな気付いていましたよ。
寒い日も雨の日も誰よりも早く出社して準備していたこと、
放送後、OAを何度も見返して制作スタッフと真剣に意見を交わしていたこと、
そのスタッフたちに心から愛されていたこと。信頼されていたことを。

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そんな山かなちゃんはさらなる高みを目指すことを決断しました。
私たちは自信をもって山かなちゃんを送り出します。
4年間お疲れ様でした。
ずっと応援しているからね!山かなちゃん!!

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一方、気象予報士の竹ノ内さんは
13年前からKYTで鹿児島の気象情報を伝えてこられました。

梅雨の大雨、夏の台風、冬の大雪。

県民の皆様へ最新の気象情報、防災情報を伝えようと
黙々と天気図と向き合ってこられました。
特に台風の襲来前は私たちは竹ノ内さんに今後の進路や勢力の見通しを聞いて
取材場所やスタッフの態勢を決めてきました。
竹ノ内さんはKYTの防災報道の屋台骨でした。

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竹ノ内さんは季節の映像のコーナーも担当されていました。
旬の果物、見ごろを迎えた花、郷土の伝統芸能や祭りなど
鹿児島の四季の移ろいを伝えてきました。

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竹ノ内さんが伝える言葉には
いつも取材対象への愛がこもっていました。

まさに“鹿児島を愛し、
鹿児島に愛された“大先輩でした。
とても勉強させていただきました。

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竹ノ内さん長い間お疲れ様でした。
お体に気をつけてこれからも竹ノ内さんらしく活力ある日々をお過ごしください。
そして第二の人生を大いに楽しんでください。
本当にお世話になりました!

2016年12月24日

KYT特別番組「女優たぬき」のお知らせ

がんと闘いながら最期まで舞台に立ち続け、
今年10月に亡くなった女優たぬきさんのドキュメンタリー番組
「女優たぬき~伝え続けた命の尊さ~」を12月30日に放送します。

たぬきさんは戦争体験者や遺族から聞いた話を芝居にして
県内を中心に上演してきました。

番組では同じ道に進んだ息子に芝居を託したたぬきさんの思いに迫ります。
放送は12月30日(金)午後5時からです。是非ご覧ください。

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ナレーター:小山茉美
撮影:馬場 剛
編集:奥江秀穂
MA:宮崎 崇
題字:廣森啓文
テロップ:松崎慎也
ディレクター:岡崎百恵

今年もKYTの番組をご覧いただき本当にありがとうございました。
これからも皆様の心に届く番組を作れるよう頑張ります。
来年も応援どうぞよろしくお願いします。
良いお年をお迎えください!

2016年10月28日

県テニス選手権 決勝

県内のナンバー1プレーヤーを決める県テニス選手権の決勝が南九州市の知覧テニスの森公園で行われました。一般男子シングルス決勝は2連覇を目指す鳳凰高校出身、駒澤大学2年の牧田昂也選手と柳川高校出身、鹿児島銀行の片谷翔吾選手の対戦となりました。
第1セットの序盤は片谷選手の左腕から繰り出されるスライスサーブに牧田選手はタイミングが合いません。片谷選手は牧田選手をコートの外に追い出し、ボレーでポイントを重ねます。前に出る片谷選手。相手の逆をつくボレーが光りました。
しかし、左利きのサーブに 徐々に慣れてきたという牧田選手。落ち着いてボールを沈めて横を抜いて行きます!攻める片谷選手。ネットに沈める牧田選手。片谷選手のボールが浮くと牧田選手は渾身のエアKを決めました!第1セットは牧田選手が6-4で取り主導権を握ります。続く第2セットは激しいストローク戦に。片谷選手を左右に揺さぶる牧田選手。勢いが止まりません。最後はストレートにリターンエースを決めて、勝負あり。第2セットも6-0で奪った牧田選手がセットカウント2対0で県選手権2連覇を達成しました。

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一方、一般女子シングルスの決勝は鹿屋体育大学同士の対戦に。3年の長嵜晴香選手に1年 英凪紗選手が挑みました。激しいストローク戦を制したのは3年の長嵜選手。こちらもセット2対0。初優勝を果たしました。
ちなみに私もシングルスの45才の部に出場しましたが初戦で敗退しました。サーブ、ストローク、ボレー、スマッシュなどすべてのショットを鍛え直して来年は一勝を目指します!

2016年09月30日

中西アナが産休へ 前畑アナはかごピタ続投!

中西沙綾アナが9月30日の「KYT news every.かごしま」の放送を終え産休に入りました。

中西アナも今週every.かごしまを卒業した前畑アナと同じく
自ら現場へ行って取材し、原稿を書いて自分の言葉で伝えています。

中西アナはこれまで普段脚光を浴びることの少ない方々に
スポットライトをあててニュースや特集を制作してきたように感じます。

全校児童が8人の霧島市立持松小学校のオペレッタや卒業式。
乳がんを乗り越え登校する子どもたちの安全を見守り続けるスクールガード犬 ララ。

そして人間で110歳にあたる長寿猫 みいちゃんなど
見た人が心があったかくホッコリするような特集ばかりです。

中継のリポーターとしても大活躍でした。
鹿児島中央ターミナルビル、アミュプラザ鹿児島のプレミアム館など
多くの商業施設の誕生をLIVEで伝えてきました。

ドルフィンポートのイルミネーションやおはら祭、ホタル舟など
鹿児島の風物詩の中継ではその明るいキャラクターと相まって
艶やかで素敵な時間をお茶の間に届けてきました。

中西アナといえば食レポのうまさでも定評があります。
肥薩おれんじ鉄道の「おれんじ食堂」、
百貨店の物産展、ニューオープンの飲食店。
米粉100%のパンや
素材にこだわった贅沢なプリンなどを紹介。

味や香り、感触など
どれもまるで自分が食べているかのような感覚になれるレポートばかりでした。

今年入社した3人の新人アナに放送後、
率先してアドバイスしている姿も多く見かけました。
新人アナたちの良き模範となっています。

そんな中西アナももうすぐママに。

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視聴者の皆様とともに復帰の日を楽しみにしていますね!

そして
先日「KYT news every.かごしま」を卒業した前畑アナですが
引き続き毎週金曜の情報番組「かごピタ」のMCを続けることになりました!!

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(かごピタMCの続投を発表する前畑アナ)

今後とも「KYT news every.かごしま」「かごピタ」ともに宜しくお願い致します!

2016年09月28日

前畑アナ お幸せに!

「入ります」

ニュース本番前、
その女性は原稿を携え
いつも颯爽とスタジオに入っていきました。

時には凛と
時には屈託のない笑顔で番組を進行しました。

女性の名は前畑静香アナ。

みんなから「しいちゃん」と呼ばれ愛されています。

前畑アナがきょうKYTnews every.かごしまを卒業しました。

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一回り半も年下ですがアナウンサーとして
記者として
そして1人の人間として尊敬できる後輩でした。

前畑アナはKYTnews every.かごしまのメーンキャスターとして
日々のニュースから特集まで
第一線で自ら取材して原稿を書き
自分の言葉で伝えるという現場主義を貫いてきました。

目を覆いたくなるような悲惨な事件や事故の現場でも
その真摯な眼差しで追い求めてきました。
問い続けてきました。

「真実」は何かを。
「再発防止のために何が必要か」を。

声なき声に耳をすませ
人々が怒りに震える場面では
そこに横たわる背景を徹底的に取材しました。

全国初の再稼働となった川内原発の取材では、
福島の現状を伝えようと居住制限区域に入り、
仮設住宅で暮らす人たちの話に耳を傾けました。

いつも
取材をさせていただく方に寄り添い
思いを引き出し、感じたことを伝えてきました。

一方で屈託のない笑顔や親しみやすさ、
歯に衣着せぬコメントで老若男女に愛されてきました。

イベントやバラエティ番組でも大きな存在感を示しました。

KYT初のゴールデン番組「鹿児島歌唱力選抜大会」や
KYTがゴールデンウィークに開催するお祭りの「天テレ博」、
夏の24時間テレビ、
NNN九州各局が制作する報道特番「九州2015」の司会を務めるなど
まさに大車輪の活躍でした。

こうしたアナウンスメント技術が評価され
昨年度、NNSアナウンス大賞のテレビ部門で優秀賞を受賞しました。
全国ベスト4の快挙を達成しました。

いつまでも自慢の後輩です。

KYT報道局での約7年半
本当にお疲れ様でした!

そしてありがとう。

末永くお幸せに!

2016年08月15日

熊本城 復興への願い

「絵画の課題は自由」
「身の周りにある美しい風景や、心動かされた情景を描く」

長男(中3)の美術の夏休みの宿題です。
息子が選んだ題材は日本3大名城の1つ「熊本城」でした。

熊本城は家族旅行で何度も訪れたことのある思い出の地です。
息子たちは幼少時にここで加藤清正ゆかりの甲冑や刀剣、書物を見て
歴史に興味を持ち、戦国武将のマンガや書籍を自ら手に取るようになりました。
私も同じです。

銀杏城の愛称で親しまれている熊本城。
複雑に組まれた堅牢な石垣。
威光を放つ天守閣は見る人をはっとさせるほどの美しさです。

けれど今年4月
熊本城は地震で深刻な被害を受けました。

城の復興を願い、息子は画用紙と向き合いました。
家族旅行で撮った写真を参考にまずは下書きです。
石垣、天守閣、青い空
構図を決めて一気に書き上げます。
遠近感が出るよう「二点透視図法」を用いるようアドバイスしました。

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次に絵の具で色をのせていきます。
  
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数時間かけてようやく完成です。
本物の熊本城には遠く及びませんが、
私たち家族の胸に刻まれているあの日の勇壮な姿が浮かび上がりました。

熊本城をめぐっては来月にも復興計画がまとめられるといいます。
1日も早い復興を願っています。

2015年03月16日

交通事故防止の願い

先日、運転免許の更新を行いました。
窓口では更新の手続きに必要な費用のほかに
「公益財団法人 県交通安全協会」の会費納入の協力を求められました。

迷わず5年分の会費3000円を納めました。

背中を押したのはチラシに添えられていた
「悲惨な交通事故を防止するため」という言葉でした。

県内では今年小学生が犠牲になった痛ましい事故も起きています。

「交通事故で悲しむ人がいなくなりますように」
そんな願いを込めて会員になりました。

会員証は鹿児島のシンボル桜島をあしらったデザインです。
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さて、納入した会費の行き先は、というと
会員の住所地の地区協会に送られ、その地域の交通安全活動に活用されるそうです。

具体的な活動内容は
街頭での交通安全活動や腹話術人形を使った交通安全教室、
ホームページやシルバードライバーズスクール開催などの広報啓発活動、
飲酒時のような視界を再現するいわゆる“酔っ払いゴーグル”の使用体験、
優良運転者などの地区表彰、
黄色の帽子・ワッペンの配布、
カーブミラーの補修・清掃活動など多岐に渡っています。

ちなみに会員になると協賛店での様々な割引きを受けられるそうです。
ゴルフ場、ガソリンスタンド、旅館・ホテル、家電量販店などがあってとても便利です。
(詳しくは県交通安全協会のホームページをご覧ください)

小さいことかもしれませんが、“大切な命”を守るため
できることはやらねば!と思っています。

2015年01月07日

エルグシングルス大会 

新年あけましておめでとうございます。
テニスに夢中のおじさんは今年も燃えています。

正月は体重を増やさないよう
大好きな「おせち料理」も「スイーツ」も最小限に控え体を絞りました。

なぜなら大事な試合を控えていたからです。

毎年、私の正月は通っているテニススクールのシングルス大会で幕開けします。
おととし優勝、昨年は準優勝させていただいた大会です。

もう1度優勝の感動と喜びを・・・と年末から意気込んでいました。

というわけで迎えた4日の試合当日。
興奮して午前3時ごろまで眠れませんでした。まるで遠足前の子どものようですね。

試合は4人ずつの4つのリーグに分かれ、計16人で予選を戦います。
すべて6ゲーム先取で各リーグから1人ずつ勝ち上がり、
最終的に4人が決勝トーナメント進出となります。

私は予選リーグでなんとか3勝することができ、
決勝トーナメントに進出。

しかし、迎えた準決勝では相手に格の違いを見せつけられました。

強烈なトップスピンストロークで左右に振られ、
じわじわと追い詰められていきます。

体力の限界が近づいていることを感じた私は
短時間で勝負を決めようと果敢にネットに出ました。

が、次々とパッシングショットを決められてしまいました。

勝負はゲームカウント4-4までもつれましたが
最終的に押し切られ6-4でゲームセット。

「走り込みの重要性」を感じさせられた試合となりました。
春の樋口杯に向け精進して参ります。
今年も応援よろしくお願い致します。

さて、私は毎週金曜日に放送中の「かごピタ」の人気コーナー
「行ってみっが」のナレーションを担当させていただいています。

元寺尾の錣山親方や宮下純一さん、しーちゃんこと前畑静香アナが
県内各地をめぐり街の魅力をお伝えします。

毎回、「新発見」と「驚きの連続」で
ナレーションを収録する際、
笑いをこらえきれず、収録を中断してしまうこともあります。

今週は宮下純一さんが鹿児島市高麗町をめぐります。
どんな素敵な出会いがあるんでしょうか?

お楽しみに!


2014年10月20日

県テニス選手権が開幕

県テニス選手権が開幕しました。
今年は予選を勝ち抜いた12人を含む128人が出場。
注目は実業団国内最高峰の団体戦「日本リーグ」に2年連続の出場が決まった鹿児島銀行勢。
中でも去年の覇者で、長崎国体にも出場した徳重孝典選手は
コースを的確に突いた強力なサーブとストロークを武器に4度目の優勝を狙います。

また,去年の県選手権の決勝で徳重選手に敗れた鹿児島国際大学3年の田中皓大選手は
春の九州学生選手権で準優勝に輝くなど調子を上げてきており、リベンジに燃えています。

さらに今月行われた高校新人戦を制した鳳凰高校2年の井上諒風選手など
伸び盛りの高校生たちがどこまで上位に食い込むか注目が集まります。

きょう午後6時15分から放送のKYTニュースevery.のスポーツコーナーでは
今大会の見どころをお伝えします。是非ご覧ください。

一方、私の選手権の結果ですが、
去年に引き続き、今年も初戦で鹿児島銀行の方と対戦させていただきました。
スコアは1-6、1-6。

対戦相手の華麗なサーブやストロークにうっとりしている間に
気がついたら試合が終わっていた印象でした。
“ケンセン”夢の初勝利はまたもやお預けとなりました。
来年に向け一歩一歩精進致します。

2014年10月06日

県テニス選手権 本戦出場決定!

日本のテニス界の星 錦織圭選手がまたまたやってくれました!
きのう行われた楽天ジャパンオープン決勝で見事勝利!2年ぶり2度目の優勝です。

相手は時速200キロ超の高速サーブを次々と繰り出す、
カナダのミロシュ・ラオニッチ選手。

なかなかサービスゲームをブレイクできず、
試合は第3セットまでもつれましたが最後は錦織選手の粘り勝ち。

試合直後、錦織選手はコートに倒れ込んで勝利を噛みしめていました。
そしてマイケル・チャンらコーチ陣のもとにかけよって涙するその姿に
私もテレビを見ながら熱いものがこみ上げてきました。

先月の全米オープン準優勝の歴史的快挙、そして先週のマレーシアオープンの優勝に続き
またまた錦織選手に勇気と希望をいただきました。

スケールは全く違いますが私も今月、大きなテニスの試合に臨みます。
伝統の鹿児島県テニス選手権(通称:ケンセン)です。

高校、大学などのテニス部の学生、実業団、一般のテニス愛好家まで出場して
県内のテニスプレーヤーNo.1を決める県下最大の大会です。

去年私は男子シングルス一般の部にエントリー。
予選をなんとか突破して本戦への出場を果たしました。
しかし、本戦の1回戦で第3セットまでもつれた末、敗退しました。

今年は県テニス協会のポイントの関係で予選が免除され、
いきなり本戦出場のチャンスをいただくことができました。

県内の大きなテニスの大会は春の樋口杯と秋の県選手権があります。
樋口杯は1回戦から5回戦までは8ゲーム先取で準々決勝から決勝までが3セットマッチです。

一方の県選手権はというと、
予選は8ゲーム先取ですが本戦は1回戦から決勝まですべて3セットマッチ。
つまり、試合を勝ち抜くためには技術面はもちろん、長時間に渡る試合を連日戦えるだけの強靭なフィジカルが求められます。
無論今年の目標は「初戦突破」です。

“ケンセン”に向け、ここ半年間は週一回の練習に加え
体力負けしないよう体重を2~3キロ落として、筋力トレーニングを続けてきました。
本戦まで約2週間。
徹底的に走り込んでベストな状態で試合に臨みたいと思います。
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昼休みにダンベルを足の甲に置いてヒザから下を曲げ伸ばししていると
後輩の記者たちにからかわれます。

「蛭川さん、何を目指しているんですか?」

私は答えます。

「え?錦織だけど 何か?」

誰しも夢を抱くことは自由ですから(笑)

2014年09月15日

錦織選手に続け!鹿児島の子供たち!

多くのテニス関係者が口を揃えます。
「生きているうちにグランドスラム(4大大会)の決勝に
 日本人が残っている場面を見られるなんて」と。
私もまったく同感でした。

先週の全米オープンテニスで錦織圭選手が準優勝!
日本人初の快挙を成し遂げました。

ラオニッチ、バブリンカ、ジョコビッチと世界のトップ選手を撃破する快進撃に
この2週間はテレビにくぎ付けでした。

錦織選手のスーパープレイのほかにも今大会は見どころ満載でした。

私がテニスを始めた1980年代後半から1990年代、
グランドスラム(テニスの4大大会)で活躍していた世界的な名プレイヤーは・・・
ステファン・エドバーグ
イワン・レンドル
ボリス・ベッカー
ゴラン・イワニセビッチ
マイケル・チャンなど。

四半世紀を経て彼らは現在のトップ選手たちのコーチとなって活躍しています。

エドバーグがフェデラー
ベッカーがジョコビッチ
イワニセビッチがチリッチ
そして
チャンが我らが錦織圭選手のコーチに就いています。

試合の中継映像にエドバーグやベッカー、チャンなど
往年の名プレイヤーたちが映るたびに懐かしくて
ワクワクした方も多いのではないでしょうか?

エドバーグの前髪を「フッ」と吹く仕草と華麗なスピンサーブ、
レンドルの“居合い抜きバックハンド”、
ベッカーの“ブンブンサーブ”
イワニセビッチのキレッキレの“スライスサーブ”
真似しても決して再現できないスーパープレイの数々。

グランドスラムの決勝という
絶対に日本人が到達できないと思っていた夢舞台。

そこで「KEI」という名の日本人の若武者が翔けまわりました。
日本の子供たちの夢とともに。

今回の錦織選手の快挙をきっかけに国内のテニス人気が高まっているといいます。
県内のテニススクールでも入会の問い合わせが増えているそうです。
これを機に県内のテニス人口が増えることを期待しています。

これからの子供たちはきっと
海外の選手ではなく、錦織選手の決め技
「エアK」のマネをしてテニスを楽しむんでしょうね。

ちなみに私はいまでもレンドルの“居合い抜きバックハンド”に憧れて
マネしていますが、滅多に成功しません(涙)。

しかも40歳を過ぎてから練習のあとは決まって肩が痛いです。
これでは“錦織圭”ではなく“肩こりけ?”ですね(笑)

2014年07月18日

あす放送!「九州まるごと!ベスト麺」

あす7月19日(土)午後1時30分から麺好きの方必見の番組が放送されます!

番組名は「九州まるごと!ベスト麺」

文字通り九州7県の麺のオールスターが勢揃いします。

ラーメン、うどん、そば、ちゃんぽん、焼きそばなどから

ご当地麺、不思議な麺、懐かしの麺からイケ麺まで九州7県、

ところ変われば麺も変わる!

九州の超絶!究極の麺を食べ尽くします!

福岡・佐賀・長崎・大分をイケメン俳優でタレントの太川陽介さん、

熊本・鹿児島・宮崎を鹿児島出身の国生さゆりさんが巡ります。

ということでー

鹿児島編では私蛭川が国生さんともに県内の「ベスト麺」をご紹介します!

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鹿児島県民なら誰もが食べたことのあるあの麺や、

町ぐるみで開発された新ご当地麺などなど見どころ満載です。

「九州まるごと!ベスト麺」は7月19日(土)午後1時30分からの放送です。
是非ご覧ください!

2014年01月06日

準優勝

新年あけましておめでとうございます。

みなさんはどのような正月を過ごされましたか?
私はいつものようにテニスの大会に参加してきました。

大会は私が通っているテニススクール(エルグ)の新春シングルス大会です。
去年奇跡的に優勝させていただいた思い入れの強い大会です。

参加者のほとんどは顔馴染みの皆さん。
和気あいあいと楽しい1日を過ごすことができました。

試合は予選リーグ2試合、本戦リーグ2試合の計4試合。
各6ゲーム先取で争われました。

予選リーグはなんとか2勝し、本戦の1位リーグに進出!
1位リーグでも1勝し、決勝に進出。
決勝戦の相手は毎週一緒に練習させていただいている方でした。

この方は去年、県テニス選手権の55歳以上の部でベスト4に入った実力者。

フラット系のファーストサーブは確率も高く、
ストロークも深くてなかなか甘いボールが来ず、
攻めさせてもらえません。

防戦一方で前後左右に振り回され、
何度も足がつりそうになりました。

それでもダメもとでネットに出ては
腰が引けた「ヘナチョコボレー&スマッシュ」もまれに炸裂!!(笑)

一進一退の攻防の末
気が付けばゲームカウントは5-5に。

しかし、最後のゲームを取られてしまい、ここで勝負あり。
結局5-6で敗れ、今年最初の大会は準優勝に終わりました。

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準優勝賞品にネックウォーマーをいただきました!
ありがとうございます!

今年の目標はズバリ秋の県テニス選手権本戦での「1勝」です。
まずは走り込んで正月で増えた体重をもとに戻さなくては・・・(笑)

今年KYTは開局20周年を迎えます。
仕事もテニスも全力で頑張ります!

2013年10月22日

県テニス選手権 本戦出場しました

県テニス選手権のシングルス(一般の部)本戦の1回戦に出場してきました。

対戦相手は鹿児島銀行の選手。
スコアは4-6、6-4、4-6とファイナルセットまでもつれたものの、
あと一歩及ばず敗退しました。

しかし、試合を通して自身のウィークポイントにも気付くことができ、
次につながる有意義な試合となりました。

会場の鴨池陸上競技場のテニスコートはオムニコートと呼ばれる
砂入り人工芝のコートなんですが、ボールがよく跳ねるのです。

風が強いこともあって、風下でスピン系のボールを受けると
頭の上まで高く跳ねることも度々ありました。

この跳ねるボールに苦戦しました。

フットワークを使って後ろに下がることも重要ですが―
2回戦、3回戦、あるいはそれ以上へ進出している選手のみなさんは
この高い打点でのボールの処理がとてもうまいと感じました。

そしてもう1つ。

なんといっても「スタミナ」です。

ファーストセット取られ、セカンドセットを取り返し、
数年ぶりに経験したファイナルセット(学生時代以来?笑)。

足はパンパン。完全に息があがってしまいました。

時折、目の前が真っ白になり・・・
コースを狙うどころか、
相手コートにボールを打ち返すだけで精一杯でした。
気付けば試合は終わっていました。
今年の挑戦は終わりました。

でも、大きな収穫が2つありました。
1つは3セットの中で、サーブを1本もダブルフォールトしなかったこと。

2つめは3セット戦った割に、翌日以降筋肉痛がそれほど残らなかったことです。
今回試合に向けて続けてきた筋力トレーニングの成果が出たのかな、と満足しています。
以前は試合後、立てないほどの筋肉痛が全身に残っていたのですから。

どのスポーツでも同じだと思いますが
故障がなく筋肉痛も残らないというのは大事なことなんです。

この大会で優勝するには1回戦から出場して連日の試合を
計7回勝ち抜かなければなりません。甲子園球児も悲鳴をあげそうな連戦です。

準決勝と決勝の間には中1日あるとはいえ、
例年決勝戦では両者ともに腕も足もテーピングだらけで、
体のあちこちの痛みと戦いながら死闘を繰り広げています。

勝ち抜くには、技術やスタミナに加え、
連戦に耐えられる「強靭」な体が求められるのです。

目標だった県テニス選手権(ケンセン)本戦への出場を果たした今、
来年目指すは本戦での「勝利」です。

メタボ防止で再開したテニスですがすっかり本気モードです(笑)

2013年10月16日

KYTレディスチャリティーゴルフ開催

KYT主催のレディスゴルフ大会、
こしき海洋深層水プレゼンツKYTレディスチャリティーゴルフ2013が
きょう南九州市の知覧カントリークラブで開かれました。
3回目の開催となった今年は123人が参加してくださいました。

私は皆さんのプレーを中尾克彦プロに解説していただきながらコースをまわりました。

見事に整備された美しいコース・・・。

華麗なショットの連続・・・。

うっとりしっぱなしの1日でした。

この大会は乳がんの早期発見・早期治療を啓発する
ピンクリボン運動を応援していて、
ニアピンホールでグリーンに乗らなかった場合、
チャリティーに参加してもらうなどユニークなルールもあります。

秋晴れのもとコースのあちこちで
「ナイスショット!」「ナイスパット!」の声が響いていました。

大会の模様は来月23日の午前10時半からKYTで放送します。
是非ご覧ください!

そして参加して下さった皆さん、本当にお疲れ様でした!
また来年のご参加をお待ちしております!

2013年10月15日

県テニス選手権 本戦出場へ

県テニス選手権が開幕しました。

体育会テニス部の学生から実業団テニス部の選手まで出場する
県内のテニスプレーヤーNO.1を決める大会です。

本戦に出場するには県テニス協会の参加条件(年間の協会ポイントなど)を満たすか、
予選を勝ち抜く必要があります。

私はポイントが足りず、シングルスとダブルス(服部アナとペア)の一般の部に予選から参加しました。(3年後は45歳以上の部に出場します)

高校・大学で夢中になったテニスでしたが、
社会人になってから15年ほどラケットを握っていませんでした。
ふと気付けばポッコリお腹の中年体型に・・・。

「これはいかん!」と数年前、再開しました(笑)

県テニス選手権(一般に“ケンセン”と呼ばれています)の本戦出場は最近の私の目標。
週1回の練習に加え、下半身を中心とした筋力トレーニングに励んできました。

そして迎えた予選。

会場は南九州市の知覧テニスの森です。

澄み切った青空のもと気持ちよくプレーできました。

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(撮影:服部アナ)

予選は8ゲームの1セットマッチで、
ダブルスは1勝てば本戦出場。

シングルスは2回勝てば本戦に出場できます。
私のシングルス予選のドローは1回戦の相手がテニス部の大学生、
2回戦が一般の方でした。

大学生のボールはスピードがあり、左右に振り回されタフな試合となりましたが
なんとか8-4で勝利。
予選2回戦も服部アナの応援のおかげで8-1で勝利し、念願の本戦出場を決めました。

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(撮影:服部アナ)

本戦はなんと6ゲームの3セットマッチ。かなりのスタミナが求められます。
本戦まで約1週間。 
走り込み、筋トレとしっかり準備して試合に備えたいと思っています。

ちなみに服部アナとペアを組んで臨んだダブルスは
2人ともミスが多く、4-8で予選敗退。
本戦への出場は叶いませんでした。残念!


話は変わりますが今週のnews every.は内田キャスターが休みのため、
前畑キャスターの相方を代打で岡本アナと私が務めます。
私は17日(木)の担当です。

日焼けして引き締まった状態で?登場します。

是非ご覧ください。


2013年09月17日

テニス大会で優勝しました!

久しぶりにテニスのダブルスの大会に参加しました。
数年前から通っているエルグテニススクールの大会です。

参加資格は全国各地のテニススクール生で
優勝者は九州大会への切符が与えられます。
九州大会の優勝者は全国大会へと進出し、
全国大会の優勝者にはなんと海外旅行がプレゼントされるそうです。

ダブルスで重要なボレーが下手な私は普段、シングルスの試合ばかり出場していますが、
今回は縁あってエルグの中でも屈指の上級者木村さんと出場のチャンスをいただきました。
木村さんの娘さんはエルグのテニスコーチです。

試合当日、私は木村さんからダブルスの攻めと守りのフォーメーションについて細かく
ご指導いただき、必死に足を動かしました。
試合では木村さんのコースをついたボレーやロブが随所で炸裂!
私はほとんど立っていただけですが(笑)、
リーグ戦を2勝して1位で勝ち抜け、第1シードで決勝トーナメントに進出。

2回戦スタートとなった決勝トーナメントもなんとか勝ち抜き(2勝)、
優勝することができました。

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yusho2.jpg
写真はダブルスを組んでくださった木村さんと優勝記念のピンバッジ


来月福岡で行われる九州大会への切符を手にすることができた訳ですが、
なんと県テニス選手権の日程とかぶってしまい、棄権することにしました。
苦渋の決断です。

県テニス選手権までおよそ1か月。
この大会は高校・大学のテニス部、実業団選手も参加する
県内のテニスプレーヤーNo.1を決める大会です。

私は去年、一般シングルスの部に出場し、予選で大学生に敗退しました。
今年は本選への出場目指し、練習を重ねています。
今年は同僚の服部アナとダブルスも出場する予定です。

42歳のオジサンプレーヤーですが
次回のブログ更新でいい結果が報告できるよう頑張ります。

2013年05月06日

GWのひととき

GWも最終日ですね。
みなさんはいかがお過ごしですか?

私はきのう、家族4人でバーベキューを計画!
鹿児島市郡山町にある八重山公園に行ってきました。

こちらではバーベキュー用のコンロや炭、網などレンタルできてとっても便利なんです。
食材だけ持って行けばOKです♪(ゴミはもちろん持ち帰ります)

メーンは霜降り鮮やかな頂きものの牛肉(笑)!!

落ち葉を集めてなんとか火をおこし肉を焼き始めます。
いただきまーす!

やっぱり炭火で焼いたお肉は最高ですね。
家族4人であっという間にたいらげてしまいました。

おなか一杯になって動きが止まる大人たち・・・。

対してこどもたちは、というとー
公園内を走り回り、
地面に視線を落として何やら探している様子・・・。


何をしているのか見に行くと、
「あったー!これあげる!!」と笑顔の長男(11)。


「四つ葉のクローバーだよ!」

30分ほどかけて家族4人分、4つも見つけてくれました。
「お父さん今週も仕事頑張るね」
こどもの日なのに逆にこどもたちから素敵なプレゼントをもらってしまった親父でした。


2013年01月07日

優勝しました!

あけましておめでとうございます。
皆さんはどんな正月を過ごされましたか?

私は4年ほど前から通っているスポーツクラブ(エルグ)の
新春テニスシングルス大会に出場してきました。

結果は・・・・

なんと優勝することができました。
DSC_0231.JPG
(写真は優勝賞品のビール)

高校時代に大隅地区大会のダブルスで優勝したことはありましたが、
小規模な大会とはいえシングルスで優勝したのは初めてのこと。
正月から感無量です。2013年、いいスタートを切ることができました。

実はこの大会に向け年末年始は暴飲暴食を控え、
筋トレに励んできました。
そのためか、最後までバテずに戦うことができました。

また、三浦コーチをはじめエルグの皆様のご指導の賜物と心から感謝しております。
この場を借りて御礼申し上げます。

今年の目標はズバリ!県内の大きな大会(樋口杯や県選手権)でいい成績を収めること!

もちろん仕事にも全力を尽くします(・_・;)

2012年12月23日

NNNドキュメント’12「引き裂かれて」を再放送へ

先月18日に全国放送したNNNドキュメント’12
「引き裂かれて~拉致被害者と特定失踪者~」を
県内で再放送することになりました。

放送日時は12月28日(金)午後3時53分~午後4時23分です。

この番組は拉致被害者 市川修一さんの兄 健一さんと
拉致の疑いが濃厚とされる園田一さん・トシ子さん夫妻の
長女 前山利恵子さんの日常を追ったドキュメンタリーです。

きょうはこの番組を制作するきっかけについて少し書きたいと思います。

前山さんのご両親が大崎町から失踪したのは
今から41年前の昭和46年の12月30日。
私が生まれた年のことです。

前山さんからいただく年賀状には
毎年、“謹賀新年”の隣に
「もう〇〇年が経ってしましました」とか
「悲しい新年を迎えています」の言葉が添えられています。

今年の年賀状には
「昨年、署名活動で心ない言葉をかけられ涙が出ました」
とありました。

私はその年賀状をこの1年、目の届く場所に置いてきました。

私たちはニュースで彼女たちの署名活動の様子を年に何回も取材し、放送しています。

「それぞれの家族の思いをそれぞれの立場にたって
 きちんと伝える必要がある」

「肉親に会いたい、取り戻したいという思いは
 拉致被害者の家族も特定失踪者の家族も同じだ」

この番組はそんな思いから作ったドキュメンタリーです。

先月の放送を見逃された方には是非ご覧いただきたいと思います。

また、番組では園田さん夫妻の失踪を報じる
当時の新聞記事(前山さんが保管していたもの)を紹介したのですが、
今回、その新聞社(南日本新聞)から快く接写した記事の使用許諾を
いただくことができました。

担当の方からかけられた言葉に胸が熱くなりました。

「拉致問題はメディアを超えて、解決を祈る共通の課題です。
 どうぞお使いください」

この場を借りて心から御礼申し上げます。
本当にありがとうございました。


少し早いですが
みなさま、よいお年をお迎えください。

来年こそ、の祈りをこめて―   
                    蛭川雄二


2012年11月13日

拉致問題のドキュメンタリー番組

北朝鮮が日本人の拉致を認めた日朝首脳会談から10年。

私が県内の拉致被害者のご家族の取材を始めたのも10年前の今頃のことです。

1978年に増元るみ子さんとともに拉致された市川修一さんの母トミさん(享年91)は息子との再会を果たせぬまま4年前に亡くなりました。父 平さん(97)は脳梗塞で倒れ、老人ホームで息子の帰りを待ち続けています。修一さんの兄健一さんの思いは一つです。

「父にだけは修一と会わせてあげたい。」

拉致と行方不明者の関連を調べている民間団体 特定失踪者問題調査会によれば拉致された疑いが否定できない日本人はほかにも約470人(氏名非公表者含む)。
1971年に宮崎空港へ出かけたまま失踪した大崎町の園田一さん・トシ子さん夫妻も“拉致の疑いが濃厚”とされています。

長女の前山利恵子さんは様々な生存情報に翻弄されつつも両親の無事を祈っています。
拉致被害者と特定失踪者の家族。「確実な消息が知りたい。取り戻したい」という思いは同じです。
KYTでは拉致被害者と特定失踪者の家族の今を追ったドキュメンタリー番組を放送します。是非ご覧ください。
■番組名:NNNドキュメント'12「引き裂かれて 拉致被害者と特定失踪者」
■放送日:平成24年11月18日(日)25:00~25:30


2012年08月24日

福井プロに挑戦!!

私が通っているテニススクール(エルグ)で先日、
「コーチに挑戦」というイベントが開かれ、参加させていただきました。

特別に招待されたコーチは何とプロテニスプレーヤーの福井烈さん!!

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全日本テニス選手権大会で史上最多の7回優勝
JOPランキングは9年連続1位に輝くなど素晴らしい実績の持ち主です。

現在は日本オリンピック委員会の理事と
日本テニス協会の常務理事として活躍しておられます。

“ウィンブルドンテニスの解説者”としても知られています。
まさに日本テニス界の“神様”です。

トレードマークはブリヂストン社製のラケット。
私にとって高校時代からの憧れの人物なのです。

ロンドン五輪帰りの福井プロはおっしゃいました。

「きょうは次期オリンピック候補生を探しに来ました!
いいなと思う人がいればこのあと東京に連れて帰ります!!」

大爆笑の中、レッスンは準備運動からスタート。
福井プロいわく“簡単な”柔軟体操と“誰でも出来る”リズム体操とのこと。

ですが体も硬く運動神経も鈍い私はいずれもクリアーできず、強制退場寸前・・・(笑)。
そういえば学生時代同じテニスサークルの友人に
「蛭ちゃんは運動神経それほど良くなくてスイングのフォームも変だけど、
“努力の人”だよね」とからかわれていたことを思い出します。

それでも温情判決でなんとかコートに残していただき、
ノーバウンドでボールを打ち合うボレーボレーへと移りました。

私の目の前には何と福井プロが!!!
ビビリました。とにかく震えました。

緊張のあまり、3球しか入らないズボンのポケットに
4球ボールを押し込もうとしたり、
いつも以上に足が絡まってこけそうになったり・・・。 

でも流石です。私がどんなにダメな返球をしても
福井プロの球は的確に私が打ちやすいポイントに返ってきました。

日本を代表する名プレーヤーを右に左に走らせてしまい、
本当に申し訳ない気分でした。

レッスンは3時間に渡りました。

私たちは滝のような汗をかき、フラフラに。
しかし福井プロはほとんど休むことなく
30人余りのレッスン生の相手をしてくださいました。
しかもTシャツはほとんど濡れていません。
汗をかいていないように見えました。
潜在的な体力の違いを見せつけられた思いです。

そして何と言ってもその美しいフォームに惚れ惚れしました。
特にバックハンドはスライスボールが来るか、
フラットボールが来るか打つ寸前までわかりません。
日本の頂点に立った人のボールはやはり別格でした。

最後に福井プロは私たちに教えてくれました。

★「狙うこと」・・・ただやみくもにボールを打つのではなく
相手がいない場所などをきちんと狙って打つこと。

★「質の高い練習」・・・目標を立てて密度の濃い練習をすることの大切さ。

★「どんどん試合に」・・・試合に出れば自分の課題が明確にわかる。

とにかく収穫の多いレッスンでした。
福井プロをはじめ、エルグのコーチの皆様本当にありがとうございました!

2012年04月06日

福島はいま

東日本大震災から1年。
先月、NNN系列局のデスク応援と研修のため2週間ほど福島に行ってきました。

去年の宮城に続く被災地入りです。

写真は南相馬市の警戒区域の入口(福島第一原発から20キロの立ち入り規制地点)です。
keikaikuiki.JPG

この奥で営まれていた人々の暮らしが、日常が、笑顔が、幸せが、震災ですべて奪われました。

計画的避難区域の飯舘村です。

それまで毎時1マイクロシーベルト前後で推移していた放射線量が
道路脇の草むらでは7マイクロシーベルトを超えました。
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村の住民は昼間は仕事のため村に入り、夜は区域外に出るという生活をされているそうです。

こちらは南相馬市内の公園です。
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除染のため表土を剥ぎ取る工事が行われていました。
子どもの笑い声が消えた公園です。

相馬市の被災地にも入りました。
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打ち上げられた船やがれきは姿を消したものの、
基礎部分だけが残った住宅、
ぐにゃぐにゃに曲がったガードパイプは震災から1年経った今もそのままです。
改めて津波の破壊力を思い知らされました。
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福島は地震や津波被害に加え福島第一原発事故による放射線のため、
現在も16万人もの人々が県内外への避難を余儀なくされています。

政府は去年12月、福島第一原発の事故について「冷温停止状態」を維持している
として「事故は収束に至った」と発表。
事故収束に向けた工程表でステップ2が完了したと宣言しました。

しかし、実際には核燃料の状態も未だ正確に把握されていないのが現状・・・。

私が滞在していた間も、新たに原子炉の温度計のトラブルが発覚するなど
まだまだ先行きが見通せない状況が続いています。

さらに汚染水の処理、中間貯蔵施設の設置、周辺住民への補償問題、
風評被害の問題など課題は山積です。

写真は相馬市の震災がれきです。

木材・金属・コンクリートなど分別された山が幾重にも連なっていました。
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このがれきを安全に処分するにはいったい何年かかるのでしょうか?

いまこそ国民全員が1つとなり、この問題に真摯に向き合っていかねばならない、
私はそう思います。


2012年02月09日

41歳!

先日(2月6日)41歳になった。
さすがに40代にもなると誕生日を迎えても正直それほどの感動はない。
むしろ息子2人の誕生日の方が100倍感慨深いものだ。

だが今年は違った。
無事にニュースevery.の放送を終え、「さて」とバッグを持って帰途に・・・。
すると-
「ハッピー・バースデー・トウ・ユー!」
「ハッピー・バースデー・トウ・ユー!」
の歌が報道フロアを包んだ。

後輩のかわいい記者たちがサプライズで誕生ケーキをプレゼントしてくれたのだ。
大好きなチョコレートケーキだ。
一足先にバレンタインが来たようだ。
なんとも可愛いらしいハート型。
うーん・・・・・・似合わない。
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なんとバースデーカード付だ。こんなものをいただくのはいつ以来だろうか?
記憶にない。
カードには「いつまでも福山雅治さんを彷彿とさせる“モテデスク”でいて下さい」のメッセージが。
cake2.jpg
いつから“モテデスク”になったというのか?
いささか違和感を覚えた。
なるほど2月6日は福山雅治さんと同じ誕生日か!
“モテデスク”のくだりはやはりお世辞だろう。
いや、そんなことはどうだっていい。
後輩たちの気遣いと優しさが、ヘルニア気味の腰と四十肩の痛みを和らげてくれた。
「そのネタ、裏が取れるまで帰ってこなくていいよ!!(怒)」と
普段は泣く子も黙る鬼デスクで通している分、ニヤつく訳にもいかず・・・。
超甘党の私はその場でかぶりついた。
「うまし!」
そんなリアクションを取るのが精一杯だった。
みんな、本当にありがとう。
あとで聞いたのだが、以前一緒に夕方ニュースのキャスターをやっていた近藤アナがこの日が私の誕生日であることを後輩たちにこっそり耳打ちしてくれていたらしい。近ちゃんありがとう!

2012年01月06日

うれしい知らせ

うれしい知らせとともに2012年が明けた。

「もしもし・・・」

電話を取った妻の目にはうっすらと涙が滲んでいた。
電話の相手は妻の元同僚の女性。
妻が結婚前に東京で勤務していた会社でお世話になった方だ。

妻は結婚後鹿児島へ。
一方、女性は故郷に戻り家族と暮らしていた。
そこは岩手県宮古市。
去年3月の震災で壊滅状態となったあの街だ。

鹿児島と岩手に離れたあとも妻と女性の交流は続いていた。
毎年季節になると女性からは地元産のイクラが届いた。
醤油漬けと塩漬けの2種類。
醤油漬けの方は宝石のような輝きを放ち、歯を跳ね返すほどの強い弾力があった。
塩漬けのイクラは芳香な濃い味わいだった。

「いままで食べていたものは本当にイクラだったのか・・・」

そう思わせるほど美味い。まさに至高のイクラだった。
我が家からは鹿児島名物“しろくま”を贈った。
そんな何でもないやりとりが何年も続いていた。
あの震災が起きるまでは。

去年3月11日。
テレビに映し出されたカメラの映像に絶句した。
大津波は女性が住む岩手県宮古市の大部分を飲み込んだ。
妻は何度も女性の自宅に電話をかけるが繋がるはずもない。

見るからに街は壊滅状態。

確か女性の自宅近くには川があって、イクラはその川で獲れるシャケのものだと聞いたことを思い出す。
映像を見るたびに絶望感に打ちひしがれた。

それから岩手県警のホームぺージにアクセスして恐る恐る死亡者リストを確認する日々が続いた。
ホームページには膨大な量のリストがアップされていた。

1歳 24歳 90歳・・・

老若男女 津波は様々な世代、多くの命を一瞬にして奪った。
リストは何十ページも続く。
パソコンのマウスを握る手が震えた。

「名前がありませんように・・・」
 
定期的に検索した。
女性の名前がアップされることはなかった。

妻は岩手の公的機関に女性の安否を問い合わせようとはしなかった。
きっと死を告げられるのが怖かったのだろう。

「きっと生きてるよ」

ほかにかける言葉が見当たらなかった。

去年末―
一縷の望みを託して女性に年賀状を出してみることにした。
女性が生存していて住所変更届けを郵便局に出していれば届くのではないか、そう考えたのだ。

文面をあれこれ思案したものの、気の利いた言葉が浮かばない。

結局こんな文言を添えるのがやっとだった。

「お元気ですか?連絡をください」

年が明けた3日。
待ちに待った女性からの電話が来た。

「生きていてくれた!!」

聞けば震災当時、女性は自宅におらず避難して津波から逃れたという。
だが、自宅はすべて流されていた。

震災前、女性は両親と姉夫婦、その子どもたちと同居していた。
お父様だけが避難所に一旦避難したあと、荷物を取りに自宅に戻って波にのまれたそうだ。
地震から1か月後にご遺体が発見されたという。
妻は電話口でお悔やみの言葉をかけた。

女性は「まだうちはましな方だよ。遺体が見つかっただけでもましな方だよ」と気丈に答えてくれたという。
女性の一家は現在、仮設住宅で暮らしているそうだ。

「寒いでしょ?何か欲しいものはない?」

ただでさえ雪深い極寒の地。妻は何か物資を送りたい旨女性に告げた。
女性は「気を遣わないで」と言いながら、「あのかき氷食べたいな」と話し、涙声の妻を逆に笑わせてくれた。

話し合った結果、まずはさつまいもを送ることに決めた。この時期抜群に甘い安納芋にした。

焼き芋にして冷え切った体と心が少しでも温もれば、そう願いたい。

2011年07月21日

宮城で見た現実

東日本大震災から4か月あまり。NNN系列局である宮城テレビの応援のため、先週一週間宮城県に行ってきました。
飛行機が仙台空港に着陸する直前、目に飛び込んできたのは沿岸部の信じがたい光景でした。
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津波被害を受けた松の木です。ほとんどが内陸部に向けてなぎ倒されていました。
機内ではほかの乗客もみな言葉を失ったように呆然と窓の外を見つめていました。
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甚大な被害を受けた仙台空港は一部で営業を再開したばかり。
地震と津波の痕跡はまだあちこちに残っていました。

応急処置が施された天井、建物の柱や壁には私の背丈より高い場所に泥水の痕が・・・。
空港の通路は「東北に力を」と書かれた全国からの激励の寄せ書きや千羽鶴で埋め尽くされていました。
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仙台市内へ向け車を走らせるとあちこちに「がんばろう!東北」と書かれた看板が。
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まもなく、うず高く積まれたがれきの山が迫って来ました。
なぎ倒された電柱、田んぼの中にはひっくり返った車、大破した何十台もの車、一階部分が完全に損壊した住宅、そこには震災前どんな風景だったのか全く想像もつかない荒涼とした景色が広がっていました。
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津波被害のない仙台市中心部でも、屋根にブルーシートを張った住宅が目立ちます。地震で瓦が落ちた住宅でした。津波だけでなく地震による被害もこんなにあったのか、と驚きました。

応援に入った宮城テレビも地震被害を受けました。応急工事は終えたそうですが、現在も建物と建物の間にズレがあったり、ヒビが入った窓ガラスもありました。
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こちらでは震災当時、1階ロビーが臨時の避難所となり付近の住民のみなさんが避難されていたそうです。

宮城テレビでも津波の犠牲になった方や家族や親戚を亡くされた方もいるそうです。
報道制作局 情報センターの編集長も自宅を津波で流されたと聞きました。にもかかわらず編集長は震災以降しばらくの間、不眠不休で震災特別番組やニュースの制作にあたっていたと部員の一人が明かしてくれました。ご本人は私が滞在した一週間、一言もそうした逆境には触れることなく、私に仕事を教え、黙々とニュースと向き合っておられました。

「もし、自分が同じ立場になったら同じことができるだろうか?」

最近、自問自答する毎日です。
家が流され、家族とも連絡がつかない状態。
果たして会社に泊まり込んで同じことができるか?と。

震災から4か月あまり。各地で復興に向けた動きが活発となり、取材すべき出来事が山のようにあります。宮城テレビのデスクは「県民に資する情報は何か?どんなニュースを放送すれば報道機関の使命を果たせるのか」を常に念頭に置きながら取材を進めていました。

私が滞在した一週間の間にはうれしいニュースもいくつかありました。
気仙沼港で一本釣りカツオの水揚げが再開されたというニュースには海の男たちの底力を見ました。
塩害の被害を受けた農家が田んぼの除草を始めたニュースでは「来年は絶対米作りを再開させるよ!」との復興にかけた熱い思いを感じました。 

一方で課題も山積しています。
進まぬ仮設校舎建設の問題、あちこちに無造作に置かれたがれきの問題などです。
私が訪れた多賀城市のがれき置き場のすぐ隣には中学校がありました。
付近には吐き気をもよおす異臭が漂っていました。
ハエも異常発生し、タクシーを乗り降りする数秒間に車内へ何匹も入り込んでくる有様です。
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似たような場所はほかにもあり、被災地の子どもたちは劣悪な環境での学習を強いられています。
我々報道に携わる者はこうした問題点を的確に伝え、一刻でも早く現状を改善できるよう国や行政に促すことが使命だと感じました。

一週間の応援を経て帰路につく前、仙台空港の一帯を改めて見てまわりました。

震災から4か月あまり。
被災地は今、緑に包まれつつあります。
全壊した住宅のまわりにも名前はわかりませんが小さな雑草が綺麗な青い花を咲かせていました。
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被災地のみなさんには大地へ根を張るように、あきらめず希望を持って一歩ずつ一歩ずつ復興の道を歩んで欲しいと願っています。
ここ鹿児島からも被災地に向けて復興への県民の思いを伝えることができます。
いえ、もっと何かが出来るはずです。それを常に考えながら毎日のニュースを伝えていきたいと思っています。

2011年01月16日

磯の王者イシダイに魅せられて⑧

去年夏、ようやくチャンスが訪れた。

場所は鹿児島市内の近場の磯。3度目の釣行だった。

朝6時から竿を出し気長にその時を待つ。

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気温は35度近い。
容赦ない日差しが降り注いでいた。

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近くで上物狙いの常連さんが数人竿を出していたが、太陽が真上に来るころにはみな引き上げていた。

午後3時。

満潮から干潮へと潮が動き始めた。

とともに竿先が揺れる。

叩くようなアタリも。

エサのガンガゼが素針になっていた。

緊張の連続。

バッカンに残っていたガンガゼは残り1個。

「今度こそ」の願いを込めてケンを切り落とし針を通す。

仕掛けを投入し、竿をピトンにセットする。

最後のガンガゼを海中で何者かがつついている。

「ツンツン、ツンツンツン」

そして・・・

「ズ、ズ、ズドーーーーーーーーーン」

竿先が海面に激しく突っ込んだ。

「きたぁ!!!!!!」

必死にリールを巻いた。
何分くらいの出来事だったのか、
頭が真っ白でその間のやりとりはよく覚えていない。

海面を割って出たのは縞目鮮やかなイシダイだった。

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「やった!やった!!やっとあげたぞぉ!!」

誰もいない磯で1人大声で叫んだ。

イシダイにしては決して大きくないサイズだが私にとっては大きな一歩。
価値ある1枚となった。

自分で釣り上げたイシダイ。
夢にまで見たイシダイ。

それが今目の前で「バチッバチッ」と音をたてて跳ねている。
涙がでるくらいうれしかった。

その日、我が家の食卓にはイシダイの刺身が並んだ。

コリコリとした身は絶品だった。
皮も湯引きしてポン酢でいただいた。

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「これがイシダイか・・・。うまい。うますぎる。」

箸が止まらなかった。
以来、私はイシダイに魅せられ休みのたびに釣糸を垂らす日々を送っている。

そして海風に吹かれながらこんな思いをかみしめている。

「どんなことでも夢はいつか叶う」と。

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2011年01月10日

磯の王者イシダイに魅せられて⑦

こうして私の釣り人生を振り返ると、親・祖母・系列局の先輩など多くの人々に支えられ、
育てられ、今の自分があることに気付かされる。

話を戻そう。
海釣り公園でイシダイの迫力に圧倒された私は独学で釣り方のほか
どんな道具が必要なのかを学んでいった。
暇があればイシダイ釣りのDVDや専門誌に目を通した。

専用の竿、両軸リール、専用ライン、瀬ずれワイヤ、15号前後の大きな針、ウニ通し、ウニばさみ、
バッカン(エサ入れ)、ピトン、ハンマー、ストリンガー(釣れた魚を繋ぐ)ペンチ・・・など、
一式揃えるとなるとかなり手のかかる釣りである。

dougu.jpg

おこずかいが月3万円の私にはとても一度に揃えられるはずもなく、少しずつ買い揃えていった。 
今月はネット通販で竿を半額でゲット!。
その次は釣り具店でセール対象のリール・・・といった具合だ。

最低限の道具を揃え、いざ海釣り公園へ。
でも現実は甘くない。ボウズの日が続いた。

竿先はもぞもぞと揺れるものの、大きな当たりまで繋がらないのだ。

忍耐の日々。

ところで海釣り公園には毎日竿を出す常連さんが数人いる。

南側のコーナーでマダイの浮き流し釣りをやる人。
サビキ釣りでアジを釣ってからそれをエサに「泳がせ釣り」でカンパチなどの青物を狙う人。
クロ(メジナ)専門の上物狙いの人。北側の先端で青物をルアーで狙う人。
お互いが顔見知りで、飲み物やお菓子などを交換して交流を深めている。

「アジ釣れたよ。エサにどうぞ!」

「いつもすまんね。からいもをふかしてきたから食べてね!」といった感じだ。

海釣り公園に通い始めてすぐ、私の竿が海面に向けてしなった。

「きた!イシダイか!?」

大慌てで魚とやりとりする私を常連さんたちが優しく見守る。

「それは本命じゃないね!」

「なんでわかるんですか?」

「引きが弱いよ。イシダイじゃないよ。」

指摘通り、あがってきたのは“イラ”だった。

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「なんだこのグロテスクな色は・・・おでこは膨れてるしぬるぬるして気持ち悪い・・・」

見た目の悪い魚・・・。
イシダイ釣りの代表的な外道だという。
針から外して海に帰そうとすると常連さんから意外な一言が。

「イラは食べられるんだよ!頭はゼラチン質で煮魚にするとうまいんだから!」

家に帰って、早速調理してみた。
まず塩でもんでねばねばを取り、うろこを落とす。
鍋に入れ醤油と砂糖をかけて煮込むとできあがり!

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身は淡白な白身で、ゼラチン質の頭や皮など結構うまかった。
しかし本命のイシダイはこの魚など比較にならないほど美味いという。

「あー早くイシダイ釣って食べてみたいな・・・・」

何度竿を出しても出しても釣れない幻の魚。

「いつになったら釣れるのだろう・・・・」。

その思いがイシダイと私の距離を徐々に縮めていった。

つづく

2010年11月09日

磯の王者イシダイに魅せられて⑥

熊本県民テレビのO先輩との釣行。
もう10数年以上前のことだ。

でも、その思い出は色あせることなく今も私の脳裏に鮮明に焼き付いている。


解禁日の3月1日。芦ノ湖は雪だった。

でも私達は冷たい湖に腰まで入って竿を振った。
なるべく水深のあるところまでフライ(毛針)を飛ばしたいからだ。

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「ヒルヒルちゃん!きょうは入れ食いだよ」

O先輩は1回り年下の私を「ヒルヒルちゃん」と呼んで可愛がってくれた。

私が当時所属していた東京支社営業部は広告主(スポンサー)からCMをいただくのが仕事。
広告主と放送局の仲人的な存在が広告代理店だ。

広告主や代理店に通ってCMをいただく。
 
例えば鹿児島地区にAスポンサーがCMを流す場合、予算が100万円あったとする。
民放が4局あるので均等に割れば1局あたり25万円となる。しかし、そうはいかない。

その局の視聴率パワー、販売促進における貢献度、そして何より影響力があったのは
「いかに通って担当者と良好な関係を築いているか」であった。

つまり、広告主や代理店に通った分だけ他社より多くのCMをいただくことができたのだ。

各営業マンの“人間力”がものいう世界・・・。
現在私が所属している報道部は取材先に足を運んだ数だけ、「情報」が取れる。
どのセクションも「得られるモノ」は違えど、仕事の中身は全く同じだと感じている。

O先輩とは担当する広告主や代理店が重なっているところが多く、
先方との懇親会があるときなどよく私を誘ってくれた。

「Oさんが可愛がっている後輩なら・・・。」と
KYTにとって新規の広告主もたくさん紹介してもらった。

公私ともにお世話になった“恩人”だ。

そのO先輩はわずか数投目で50センチオーバーのレインボートラウト(ニジマス)を釣って見せた。

「バチッバチッ」

雪の上で銀色の巨体が跳びはねた。

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「す・凄い!さすが先輩!! 俺も大物を釣ってみたいです!」

私はかじかむ手に「はぁっー」と息を吹きかけながら何度も竿を振った。

この日は水中に沈むタイプのフライ(毛針)を使い、
着水後20~30秒数えてからリトリーブした。(ラインを小刻みに引くこと)

まるで水生昆虫が水中で泳いでいるように・・・。   

するとー

「グ・グ・グーン!」

買ったばかりのオービス(洋竿メーカー)の竿が弓のように鮮やかな弧を描いた。

「きたー!」

かかったのは色鮮やかなレインボートラウト(ニジマス)!
O先輩には及ばないものの、45センチはあろうかという大物だった。

「ヒルヒルちゃん!やったね!!」

O先輩の満面の笑みが凍えそうな私の体を温めてくれた。

その後もブラウントラウトという同じマス科の珍しい魚も釣ることができた。

fly6.jpg

黄金色に光る斑点が美しかった。

キャッチ&リリースが基本のフライフィッシング。

すぐに湖へ帰してあげないと魚が弱ってしまう。

だが、その美しい魚体にしばし見とれるヒルヒルちゃんであった(笑)。
                           
                                              つづく

2010年10月19日

磯の王者イシダイに魅せられて⑤

私は高校・大学時代テニス漬けの毎日を送った。
その間釣りの事は忘れていた。


時は流れ、1994年4月。
私はKYT鹿児島読売テレビに一期生として入社した。
最初に配属されたのは東京支社営業部。

そこで「人生の師匠」と出会うことになる。

当時、KKT熊本県民テレビ東京支社営業部に勤務していたO先輩だ。

O先輩は私が少年時代ルアー釣りにのめり込んだことを知ると
「こんな釣りもあるぞ!」とあらたな釣りを教えてくれた。

「フライフィッシング」だった。


fly1.JPG
       (これは福島県の川で初めて釣ったイワナ)


フライとは鳥の羽根などで魚の餌となる水生昆虫を模して作る洋風毛針のこと。
ブラッド・ピット主演の映画「リバーランズ・スルー・イット」に出てくる釣り、
と言えばご存知の方もいるかも知れない。

はやる気持ちを抑え道具一式をボーナス払いで買い揃えた。

O先輩にはじめて連れていってもらったのは神奈川県の芦ノ湖だった。
ウェーダーと呼ばれるウエットスーツをはいて水の中へ。

腰のあたりまで水に浸かり、教えてもらった通り竿を振ってみる。
だが、糸はなかなか出ていかない。
fly3.JPG
       (ただひたすら魚と向き合う筆者 しかし・・・)

フライフィッシングに「重り」はない。

頭の上で竿を前後に振り、遠心力を使ってライン(糸)を少しずつ出しながら
狙ったポイントにフライ(毛針)を落とす釣りだ。

フライフィッシングへのデビューは投げ方の練習で終わった。

次回の釣行に備え、私は空き地でフライを投げる練習に没頭した。
リーダー(細い糸)の先端にフライ(毛針)のかわりに毛糸を結んで何度も投げた。

遠くに空き缶を置き、中にフライが落ちるよう何度も竿を振った。
そう何度も何度も・・・。地味な練習だがこれが大事だと教えられた。

私のキャスティングがなんとかさまになってきたと判断した先輩は
私を再び神奈川県の芦ノ湖に誘ってくれた。

ここで私は人生最大の獲物と出会うことになる。

                             つづく

2010年10月15日

磯の王者イシダイに魅せられて④

小学生の頃、夢中になって呼んだ漫画がある。

「釣りキチ三平」である。

いわずと知れた矢口高雄さん原作の少年漫画。

大きな麦わら帽子がトレードマークで釣りが大好きな少年の物語だ。

田舎に住む少年が「四万十川の幻のアカメ」など日本中の魚はもちろん、
海外のブルーマリーン(カジキ)などの大会にも果敢に挑戦する。

アニメ放送が始まると人気が爆発。
日本中の子どもたちが釣りに夢中になった。

私は当時、MBCラジオの「アニメでGO!GO!」の大ファンで
釣りキチ三平のオープニング主題歌「若き旅人」をハガキでリクエストして
実際に流していただいたこともあった。
(この場を借りて御礼申し上げます)

そう、私が両親から初めて買ってもらった釣り竿は
この「釣りキチ三平」モデルの竿だった。

近くの川でフナやウグイを釣るにはちょうどいい柔らかさだった。

中学生になると鹿屋の自宅から自転車で30分ほどの場所に養魚場が経営する
ニジマスの釣り堀がオープンした。

私は兄とそこで初めてのルアー釣りに挑戦した。

金属片がクルクル回って魚を虜にする「スピナー」
スプーンのような形をしたその名の通り「スプーン」

湧き水で清らかな池。

何度投げても腹ペコ?のニジマスが大群で追いかけてくる。

「兄ちゃん!また釣れたよ!!」

時間を忘れて兄と釣りまくった。クーラーは満杯になっていた。
帰ろうとすると釣り堀の管理者の説明を聞いて青ざめた。

「100グラム●●●円になります」

料金は忘れたが、その釣り堀は釣った魚を100グラム単位で
客が買い取るシステムだったのだ。

「兄ちゃんいけんすいや?(どうしよう)」
「父ちゃん母ちゃんに電話すいが!」

両親に迎えにきてもらった。

ふたが閉まらないほどクーラー一杯のニジマス・・・。

「一体いくらになるのだろう」

おそるおそる会計をしている母を見ると、
財布の中から何枚もお札が出て行くのが見えた。

「ヤバイ、怒られる・・・。」

ところが両親の反応は全く逆だった。

「よくこんなに釣ることができたね!」
「2人は将来釣り名人にならせんどかい?(なるかもね)」

自宅に帰ると両親はうれしそうに私達が釣った魚を近所の人たちに配っていた。

「雄二たちが釣ったの。食べきれんから食べて」と。

夕飯はニジマスの塩焼き。ほくほくした白い身にポン酢をかけて食べた。
少年時代の思い出の味だ。

この頃から本格的に釣りが好きになった。と同時に、
“ほめて伸ばす教育法”を取ってくれた両親にいま感謝している。

                         つづく

2010年10月14日

磯の王者「イシダイ」に魅せられて③

イシダイとの衝撃的な出会い。
これが私の“釣り人生”を大きく変えることになった。


そもそも私が釣りを始めたのは小学校低学年の頃だ。
もう30年も前の話だ。
鹿屋市に住む祖母がよく川に連れていってくれたのだ。

私達が遊びに行くと祖母は笑顔で迎えてくれた。
手作りの竹竿が家の壁に3本立てかけてある。
兄と私と妹の分だとすぐに分かった。

台所の外の湿った地面をスコップで掘ると餌となる小さなミミズがたくさん獲れた。

祖母の家から5分も歩くと川(肝属川)に着く。

上流に焼酎工場があり、時期によっては原料のサツマイモを処理したカスが流されて
多少臭うこともあったが、私達にとっては最高の遊び場だった。

キラキラ光る川面と優しく見守ってくれた祖母の笑顔がいまも脳裏に焼き付いている。

その横で「ちょん」と竿を出すと小さなウキはすぐに流れの中に消えていく。


「ばあちゃん!なんかきたよ!!」


「あげっみやい!」


小さな小さな針には10センチほどのウグイがかかっていた。
普段、メダカを網ですくって遊んでいた私達にとってそれは“大物”だった。
その後もフナやウグイが面白いように釣れた。


「雄ちゃんは上手だね」


祖母が褒めてくれるたびに「ばあちゃんにもっと大きな魚を釣って見せよう」と
日が暮れるまで糸を垂らしていたものだ。

私の“釣り好き”はこのころから始まったのかも知れない。


大好きだった祖母はいまも天国から私を見守ってくれているに違いない。


「今度、雄ちゃんはどんな魚を釣るのかな?」と。
                            
                              つづく

2010年10月13日

磯の王者「イシダイ」に魅せられて②

男性の竿に反応があった。
モゾモゾと何かが餌のウニをかじっている。


竿先が細かく揺れる。


その瞬間、海面に向けて竿先が「ズドーン」としなった。


「あんなに太い竿がこんなにしなるの?」


恐怖さえ感じた。

男性が竿を上げて会心の合わせを叩き込む!!


「イシダイですよ」


体を持っていかれそうなくらい強烈な引き。

ベテランにもなるとその引きの感触で本命と分かるらしい。
十二分にやり取りを楽しんだあと、海面に奴が姿を現した。


「うぉ!イシダイだ!!」


男性は一気にぶり上げた。

奴はしぶきをあげながら“バチッバチッ”と跳ねまわった。

図鑑などでしか見たことのない幻の魚・・・。
銀色のボディに鮮やかな7本の縞。
ヒレは千枚通しのように太く尖っている。
エラも切れ味のいい刃物のよう。
あごは彫刻刀を上下に2本重ねたように鋭い。
この強靭な歯でウニの殻を砕いて食べるのか・・・。
それにしてもその精悍な顔立ちに私はしばし時を忘れて見とれていた。


「これが荒磯の王者 イシダイ・・・ですか?」


「そうだよ!刺身もうまいよ!!皮も湯引きすると最高だよ!」


「俺も釣ってみたい」


心からそう思った。一目惚れだった。

つづく


2010年10月12日

磯の王者「イシダイ」に魅せられて①

精悍な面構え、7本の縞模様、群を抜く強烈な引き・・・

荒磯の王者・イシダイ!!
釣ることの難しさから「幻の魚」とも呼ばれている。

ishidai1.jpg

この1年間、私は「イシダイ」釣りに夢中になっている。
これはイシダイに魅せられた私の1年間の記録だ。

去年秋、私は鹿児島市の鴨池海づり公園を訪れた。
お目当てはアラカブ。

型の良いアラカブは煮つけに最高だ。
「4~5匹釣れれば良いか・・・」などと考えながら
いつもの場所に糸を垂らした。

潮風に吹かれ、雄大な桜島を眺めながらの釣りは
日常のストレスから心身ともに解放してくれる。
さわやかな朝日もまぶしい夕陽も心地いい。

ここは水深が20メートルから25メートル前後もあり、
様々な種類の魚が釣れることから週末は多くの家族連れで賑わっている。

エビを餌に簡単な仕掛けを垂らすだけで上層ではクロ(メジナ)、
中層では小アジやマダイ、底まで沈めるとアラカブなどが釣れる。
ときには釣れた小アジに青物(カンパチやハマチなど)やヒラメも
食いついてくるからたまらない。

この日は潮が良かったのか、アラカブが入れ食い状態だった。
私も夕食には十分な数を手に入れることが出来た。
arakabu.jpg

帰り支度を終え、長い釣り台を出口に向かって歩いていると
見たこともないような大掛かりなタックル(仕掛け)で釣りをしている
常連の男性が目にとまった。

これが私の人生を大きく変えることになる運命の出会いとなる。

太い竿と大きな両軸リール、絶対に切れそうにない太い糸・・・。
竿はこれまた見たこともない金属製の金具で頑丈に床と固定されている。
(のちにその金具は「ピトン」と呼ばれる竿受けの部品であることを知った)

「この常連さんはいったい何を釣ろうとしているんだ・・・。」

見当もつかなかった。
しばらく眺めていると、男性がリールを巻いて仕掛けを引き上げた。
糸の先にはなんとワイヤ。その先には大きな針がついていた。

男性はバケツから黒い物体を取り出した。なにやら無数のトゲトゲが付いている。
よくみると「ウニ」だった。

男性はそのトゲトゲ(ケン)をハサミで切り始めた。

全体のトゲを切るとまるで黒いたわしのようだ。

その中心に金属の棒で穴をあけ、針を装着して海の中に放り投げた。
底まで落としてアタリを待つ。

5分たっても10分たっても何の変化もない。
記者の性か、気になって仕様がない。聞かずにいられなかった。

「何を釣っていらっしゃるんですか?」
「イシダイですよ」
「イシダイ?イシダイって磯の王者と言われるあのイシダイですか?」
「そうだよ」
「こんなところでも釣れるんですか?」
「たまにね」

そんな会話を交わした後、私は遠巻きに男性の竿がしなるのを待っていた。

「イシダイがかかったらどれくらい引くんだろう・・・?」

このとき私はまだ、イシダイのど迫力を知る由もなかった。

                             つづく

2009年05月10日

樋口杯テニスに出場しました

みなさんはどんなGWを過ごしましたか?
私は第42回樋口杯テニストーナメントに出場してきました。
樋口杯は県内のテニスプレーヤーの頂点を決める大会。
国体の県予選も兼ねた大きな大会です。
去年の大会では3回戦で敗れた私・・・。
今年の目標はズバリ「3回戦突破」です!!。
会場となった鴨池陸上競技場のテニスコートには
岡本アナウンサーをはじめ会社の後輩らが駆けつけ応援団を結成、
あたたかい声援を贈ってくれました。

迎えたシングルス1回戦。
相手は大学生でした。
初戦ということもあり、緊張の上、動きも鈍くイージーミスを連発!
私は相手のストロークに振り回された挙げ句に足がもつれ転倒する場面も。
応援席からは大きな笑い声が聞こえてきました(悲)。

しかし何とか粘ってゲームカウント8-5で勝利しました。
higuchihai.JPG

午後から行われた2回戦にはさらに多くの後輩らが集まってくれました。
事前に「試合の応援、来てくれるよね!」と私に脅され?
なかば「業務命令」で集められた後輩たちです。

でも2回戦は途中まで一方的な展開に。
対戦相手の青年はスマッシュが上手く、追い込まれた私のロブを
ことごとく叩き込んできました。
私は休み返上で駆けつけてくれた後輩たちに少しでもいいところを見せようと
走りに走り、拾いに拾いました。
一時ゲームカウントは3-6まで離されました。
応援席に目をやると「蛭川さん頑張れ!」の手作り横断幕が!!
後輩たちに元気をもらうと、サーブ&ボレーが奇跡的に決まりはじめ、
6-6まで追いつきました。

しかし、相手の青年は格上でした。
強烈なアプローチからネットダッシュ。
スマッシュを連続で決められ勝負あり。
結局ゲームカウウント6-8で敗れ、
私の樋口杯は終わりました。
応援してくれた後輩のみなさん、大した結果は残せなかったけれど、
みんなのおかげで最後の最後までボールをあきらめずに追うことができました。
本当にありがとうございました!!

次の目標は秋に行われる県テニス選手権大会。
去年は予選で敗退してしまった大会です。
今年は本戦目指して頑張るぞ!!


2009年01月04日

あきらめたら勝負はそこで終わり

新年明けましておめでとうございます。
全国高校サッカー選手権大会で県代表の鹿児島城西高校が快進撃を続けるなか、
私も正月からテニス大会に参加してきました。
2日に行われた「新春チャレンジシングルスIN知覧」です。

会場の知覧テニスの森は凍てつくような寒さ。
コートの周りにはなんと霜柱が!!
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大会には高校生から社会人まで約50人が参加、
16組の予選リーグからそれぞれ上位2人が決勝トーナメントに進出しました。

私は予選リーグを1勝1敗でぎりぎり突破。
決勝トーナメントも1、2回戦を勝ち抜くことができました。
しかし迎えた3回戦(その日5試合目)、
相手は県外の大学に通い冬休みを利用して帰省中の大学生。
一時はゲームカウント2-4まで離されましたがその後なんとか追いつき
6-6のタイブレークまでもつれました。
しかし、チャンスボールをことごとくミスした私がタイブレークを落とし、
結局ゲームカウント6-7で敗退。今年最初の試合はベスト8に終わりました。
backhand.jpg
大学選抜目指し夢中でボールを追っていた頃から約15年。
メタボ解消のため、去年から本格的に再開したテニスは再び私の生き甲斐となっています。

今年で38歳。
もはや昔のように体は動きません。
相手のガットを切るような早いサーブも打てません。
長いラリーではすぐ息も切れます。

でもネット間際に落とされたドロップショットは
今でも全力で追いかけるようにしています。

たとえ躓いてこけても、足がつっても・・・。

なぜなら「あきらめたら勝負はそこで終わり」だからです。
これは去年秋に行われた県テニス選手権大会の予選で
高校1年生の男の子に負けて憔悴しきった私に
後輩の内田アナ(ウッチー)がメールしてくれた言葉です。

そう、あきらめたら終わりです。
今年もネバーギブアップの精神でテニスも仕事もがんばります!!

2008年12月25日

「修ちゃんの部屋」が再放送されます

今年11月2日に放送したNNNドキュメント’08
「修ちゃんの部屋~北朝鮮拉致・家族の30年~」が
再放送されることになりました。

番組は拉致被害者市川修一さんの奪還に向け
奔走する家族の戦いを記録したものです。

日時は12月30日(火)の午前6:00~6:30です。
是非ご覧ください。

2008年12月21日

もしあなたが選ばれたら・・・

saibaninseido.jpg
来年5月、国民が重大な刑事裁判に参加する裁判員制度が
いよいよスタートします。

一般市民の良識や生活の感覚を裁判に取り入れて
身近で迅速なものにしようというものです。

裁判員制度は調書など書証中心の「精密司法」から、
論点をしぼって法廷で心証を形成するための立証活動に重点を置く
「核心司法」への転換とも言われています。

すでに県内でも2300人が来年度の裁判員の候補者に
選ばれています。

「裁判員候補者の通知がきたら、是非やってみたい」と制度に前向きな人、
「仕事が忙しいんだけど・・・。」「法的知識がないけど大丈夫かな?」
「心理的負担が大きいのでは…。」と不安な表情を浮かべる人。
取材を通してみなさんが様々な思いを抱いていることがわかりました。

KYTでは22日午後5時30分からこの裁判員制度に関する
報道特別番組「もしあなたが選ばれたら・・・~動き出した裁判員制度~」
鹿児島地方裁判所の法廷の中から生放送します。

番組では鹿児島の法曹3者のトップをゲストに招き、
制度についてわかりやすくお伝えします。

現役の検察官と弁護士に従来の裁判がどのように変わるのか再現してもらうほか、
法曹3者のトップが市民からの疑問や不安に答えます。

是非ご覧ください。


2008年12月10日

もう1つの3億円事件

「犯人は3人。名前は・・・」

2005年4月末のことです。

公園のベンチに座りながら男性は落ち着いた口調で話し始めました。
最初なんとなく耳を傾けていた私は、
10分もするとノートに必死にメモを取っていました。

事の始まりはSと名乗るホームレスの男性からかかってきた1本の電話。

「3億円事件について話したいことがある。」というものでした。

3億円事件とは今からちょうど40年前のきょう、
1968年12月10日に東芝府中工場のボーナス約3億円を積んだ現金輸送車が
ニセの白バイ警官に車ごと盗まれたという大事件のことです。

私はJR鹿児島中央駅裏の公園でS氏と会いました。
S氏は長く伸ばしたヒゲに触れながら冒頭の言葉を切り出したのです。

「犯人は単独犯ではない。白バイは2台あったんだ。」

S氏は直接犯行にはかかわっていないものの、
盗んだ金をある場所から別の場所に移す作業を手伝わされたというのです。

犯行にかかわった3人の身上経歴、犯行が計画された背景、
犯行前の準備、犯行前と犯行後の行動、証拠隠滅の方法、
盗んだ金の保管と配分、3人のその後、残った金の保管場所・・・。

何を質問しても流れるように自然な答えが返ってきました。
証言の矛盾を突こうとわざと時間を置いて再び同じ質問をしても
「さっき言ったでしょ、それをやったのは○○!」
S氏は整然と答えたのです。

彼の証言はなにもかもが具体的で実際に事件にかかわっていなければ
語りえないと思えるほど真実味を帯びた内容でした。

「ひょっとしてこれは世紀の大スクープなのかな?」

胸が躍りました。気がつくとS氏への取材は4時間に及び、
ノートのメモは7ページを超えていました。

S氏の目的は2つ。
①「犯行にかかわった3人のうちの1人が鹿児島にいる」との情報があり、
一緒に捜してほしい。
②「盗んだ金の一部が残っているので
隠した場所に一緒に行ってほしい」というものでした。

私は連絡用のテレフォンカードをS氏に手渡し、
ゴールデンウィーク明けに電話をもらう約束を取り付けて別れました。
しかし、S氏から再び電話がかかってくることはありませんでした。

その後、在鹿のマスコミ各社や九州各地のテレビ各局に
S氏から同じような情報提供があったことを知りました。

中には「拾ったテレフォンカードで電話している」と
連絡が入った社もあったそうです。
(私が渡したテレフォンカードでしょうか?)

さらにS氏の証言は数ある3億円事件を扱ったフィクションの1つに
よく似たものがあることも聞かされました。

にしても具体的で迫真に満ちたS氏の証言。

その証言が真実か否か、
今となっては確認することはできません。

私は毎年、きょう12月10日を迎えるたびにS氏のことを思い出します。

S氏との出会いは私にとってもう1つの「3億円事件」なのです。


2008年11月17日

「奪還」のその日まで

 拉致被害者市川修一さんの母・トミさんが15日午後、息子の奪還を果たせぬまま、入院先の病院で亡くなりしました。91歳でした。トミさんは今月10日の朝、鹿屋市輝北町の自宅の台所で炊事中にクモ膜下出血を起こして倒れ、市内の病院に運ばれました。15日午後3時22分、家族が見守る中、静かに息を引き取りました。

 トミさんの二男・修一さんは1978年8月、増元るみ子さんとともに日置市の吹上浜で拉致されました。トミさんにとって「修一さんを見た」という北朝鮮の元工作員の証言が心の支えでした。2002年9月、初めての日朝首脳会談で一方的に修一さんが「死亡した」と通告されたあとも、息子の生存を信じ、帰国を待ち続けていました。帰らぬ子を待ち続けて30年。トミさんの願いは届きませんでした。

 15日の夜、トミさんの訃報をニュースで伝えたあと、私も仮通夜が営まれた鹿屋市の葬祭場を訪れました。何時間も泣いていたんでしょう。修一さんの兄・健一さんの目は真っ赤に腫れていました。トミさんはまるで眠っているような安らかな顔をされていました。

 私たちが取材に行くと「ご苦労さまです。お世話になります。」といつも笑顔で迎えてくれたトミさん。あの優しい笑顔が浮かんで涙が止まりませんでした。
 「元気なうちに修一に会いたい」と会うたびに話していたトミさん。健一さんは「トミさんの死」をこう捉えているといいます。

   「お袋は身を挺して拉致問題の早期解決を訴えたんだよ」

 17日に営まれた葬儀告別式で拉致被害者家族会の飯塚繁雄代表は「一刻でも早く解決・帰国させることを約束します。修一さんが残された家族の方に絶対会えることを約束します」と決意を述べました。

 私も「被害者家族の流す涙が、悔し涙からうれし涙に変わるその日まで取材を続けよう」、改めてそう思いました。

市川トミさんのご冥福を心からお祈りいたします。

2008年10月24日

拉致問題テーマのドキュメンタリーを放送します

 11月2日(日)の深夜1時10分から北朝鮮の拉致問題を考えるドキュメンタリー番組が
日本テレビ系列で全国放送されることになりました。番組名は
NNNドキュメント’08「修ちゃんの部屋~北朝鮮拉致・家族の30年~」です。

 2002年9月の日朝首脳会談で北朝鮮が初めて拉致を認め、
翌月には生存とされた5人の被害者が帰国を果たしました。
一方で「死亡」と通告された拉致被害者家族の時計は止まったままです。
 秋までに行われるはずだった拉致被害者の再調査は
福田政権の突然の退陣で暗礁に乗り上げ、
アメリカが北朝鮮に対するテロ支援国家指定の解除に踏みきるなど
拉致問題解決への道は遠のくばかりです。

 鹿児島の拉致被害者・市川修一さんと増元るみ子さんが拉致されてから今年8月で30年。
番組では膠着状態のなかで救出活動に奔走する「家族の今」をお伝えします。
 高齢化が進む被害者のご家族がどんな思いで
修一さんやるみ子さんの帰国を待ち続けているのか・・・。
ぜひ感じ取っていただきたいと思います。

 拉致問題は決して他人事ではありません。
与野党が解散・総選挙のタイミングをめぐり綱引きをしている今、
この瞬間も北の地では私たちの同朋が助けを待ち続けているのです。

 拉致問題の取材を続けて6年になります。
被害者家族のもとを訪れるたびにみなさんの「悔し涙」に接してきました。
私は被害者の帰国が実現し、この「悔し涙」が「うれし涙」に変わるまで
取材を続けたいと思ってます。 

2008年04月28日

チャレンジ精神を忘れずに…

26日、樋口杯テニストーナメントの3回戦に臨んできました。
先週行われた1.2回戦の筋肉痛もほとんど消え、万全の体調で挑みました。

しかしー

相手は一枚も二枚も格上でした。
流れるように美しいスピンサーブはバウンドしたあとバックサイドにキックして打ちづらいこと。
ストロークもフォアハンドは的確にコーナーを打ち分け、
バックハンドはナイフのように切れ味鋭いスライスでした。

一方、私は凡ミスの連続に加え、終始振り回され、結局2-8で敗退しました。
私の20年ぶりの樋口杯への挑戦は3回戦で幕を閉じました。

久し振りの試合はドキドキの連続でしたが、ポイントを決めたときの快感、
相手とのかけひきなど・・・テニスの楽しさを完全に思い出させてくれました。
例のごとく全身筋肉痛になりましたが(笑)

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テニス界をめぐっては私と同じ37歳のクルム伊達公子さんが公式戦への復帰を表明。
27日も見事な試合を見せてくれました。

伊達さんは自身のブログの中で復帰の理由についてこう明かしています。
①「テニス界に感謝」すること。
②「世界のトップで戦える日本人が早く育ってほしい」という願い。と同時にプレイヤー達に刺激を与えたい。テニス界の活性化。
③「チャレンジ」することが好きだと言うこと。

私も伊達さんを見習い、「チャレンジ精神」を忘れずに仕事もテニスも頑張っていこうと思っています。
最後に休日にもかかわらず応援に来てくれた内田アナら後輩のみなさん、ありがとう!とても心強かったよ!!

2008年04月21日

心は歳をとらない

きのう第41回樋口杯テニストーナメントに出場しました。

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「樋口杯」とは昭和23年に鹿児島県テニス協会を設立し、鹿児島県のテニスの普及に尽力した樋口佳雄氏がより一層の選手育成強化を願って昭和43年に寄贈し大会が始まった由緒ある大会です。私も鹿屋高校時代、新人戦ダブルスでベスト16に入った思い出の大会です。

あれから20年・・・。私は37歳になりました。

社会人になってからはほとんどラケットを握る機会もなくなり、最近ではポッコリお腹が気になるようになってきました。階段を上り下りするだけで「ハアーハアー」と息切れし、少し走ろうものならあっという間に吐きそうに・・・。

「このままでいいの?学生時代の鋼のような体に戻りたい!」
「昔のように無心でボールを追いかけたい!!」

そんな思いを抱き去年夏、テニススクール(エルグ)の門をたたきました。

最初はメタボ対策にと軽い気持ちで週に1回のレッスンを受けていましたが、
コーチ陣の高い技術力と指導力に憧れを抱き、いつのまにか
「俺もあんなすごいショットを打ちたい!」と思うようになりました。
以来、この半年間、テニス漬けの生活を送っています。

折りしも今年2月、デルレイビーチ国際で18歳の錦織圭選手が男子ツアーで16年ぶりに優勝するなど日本のテニス界が盛り上がりを見せています。私も毎晩のようにビデオに録った錦織選手の試合を見てイメージトレーニングを重ねてきました。

試合前日の夜には自身の気持ちを鼓舞するため、「ロッキー・ザ・ファイナル」のDVDを借りてみました。ロッキーは私に語りかけます。

「心は歳をとらない」と。

涙が止まりませんでした。
そして迎えたきのうの樋口杯一回戦。

私の強圧的・追及的な誘いを断れなかった会社の後輩たちも応援に駆けつけてくれました(笑)。

お世辞にも美しいとはいえない自己流のストローク、ぎこちないサーブ&ボレー、
本人もどこに飛んでいくか予測不能のバックのトップスピンも奇跡的に決まり、なんとか初戦を突破。

続く2回戦は体力の消耗戦。タフな試合となりました。試合は8-8のタイブレークまでもつれましたが後輩たちの応援のおかげでこちらも何とか勝つことができました。

一夜明けたきょう、私は起き上がれませんでした。全身筋肉痛です。

3回戦は26日(土)。それまでに筋肉痛が治ればいいのですが。次も頑張ります!!

2008年03月28日

キャスターを卒業します

春は卒業の季節です。
実は私蛭川も本日28日(金)をもってリアルタイムのキャスターを卒業することになりました。

4月からは番組の屋台骨であるデスクを担当します。
リアルタイムを裏方から支えていく、いえ引っ張って行く重要な仕事です!

私が夕方のキャスターに就いたのは2005年10月のこと。
当時はまだ「KYTニュースプラス1」という番組名でした。
以来2年半に渡って「鹿児島で今、起きていること」にこだわって走り続けてきました。

特に印象に残っているのはやはり被告12人全員が無罪となった「志布志事件」への取り組みです。
このニュースをめぐっては幾度となく踏み込んだ内容を放送すべきかどうか判断に迷う場面に立たされることもありました(特に無罪判決前)。

そこで「真実を伝え続ける勇気」の原動力となったのは
視聴者の皆様からお寄せいただいた数多くの応援メールやお手紙でした。

この場を借りて改めて御礼申し上げます。ありがとうございました!!
(もちろん志布志事件は真相が解明されるまで徹底的に追及し続けます)

これからは去年10月から私とタッグを組んでもらった同期の近藤キャスターが1人でスタジオを守ることになります。

あたらしいリアルタイムは記者解説や中継を多用し、
これまで以上に「旬でわかりやすいニュース」を目指します!。

私はそのニュースを統括するデスクとして引き続き近藤キャスターを支えていきます。
視聴者の皆様、これからもリアルタイムを宜しくお願いいたします!

アナウンサーは続けますので画面で見かけた際は応援よろしくお願いします!

2008年01月02日

今年はやります!!

新年明けましておめでとうございます。私はきょうが仕事始めです。
それにしても今年の正月は寒かったですね~。

強い冬型の気圧配置の影響で桜島もご覧の雪化粧(元日撮影)。

帰省先の鹿屋から鹿児島市に戻ってくる際、あまりの美しさに車を停めてしばらくの間見入ってしまいました。

さて、私の今年の目標は「昔の体を取り戻せ!!」です。
2月で37歳になるのですが、年々風邪を引きやすく疲れが溜まるようになってきたのです。しかもお腹はタプタプの中年腹に・・・。

「なんとかこのメタボ予備軍からの脱却を図りたい!」

そこで始めたのが「テニス」です。
実は去年夏ごろから週に一度テニススクールに通っています。
高校・大学時代に夢中になってやっていたテニス。
でも社会人になってからは周りにやる人がほとんどいなかったため、ラケットは長いことホコリをかぶっていました。
秋頃から次第に体が動くようになり、最近では思い通りのショットがちょっとづつではありますが打てるようになってきました。

「そろそろ試合に出てみるか・・・」

今の自分の実力を試すため、おととい(2日)知覧で行われたシングルスの試合に出場しました。
前日の夜は興奮してほとんど眠れなかった私。遠足前の子どものようでした(笑)。
この日は朝から小雨が降ったり止んだりのあいにくの天気。
でも雲の切れ間から時折太陽が覗くとこんなキレイな虹が!!
久し振りの試合出場を祝ってくれているようでした。

ところが会場の知覧テニスの森公園に着くとびっくり!!雪が積もって銀世界が広がっていたのです。

気温は3度から4度。外に5~6分いるだけで鼻水が垂れてくるような厳しいコンデションの中、試合が始まりました。私は1勝1敗で予選をなんとか突破し本選に出場できました。

本選では1回勝てたものの、2回戦で早々と敗退しました。ちょっと走っただけで息切れはするわ、
足はつるわで本当に体力の衰えを感じました。しかも試合後、全身筋肉痛に見舞われ、きょうは体中に湿布を貼って出社したんですが、新年早々報道フロアーに湿布臭を漂わせております(笑)。

でも体を動かすことの楽しさ、試合前の独特の緊張感を味わえただけでも大きな収穫でした。
今年はたくさん試合に出場したいと思っています。

もちろん、本職のニュースもがんばります。
今年は視聴者のみなさまが元気になれるような楽しいニュースのほか、リアルタイムという番組名の通り「今起きている」旬なニュースををたくさんお伝えできるようスタッフ一同精進して参ります。

2008年もKYTを宜しくお願いいたします。

2007年12月19日

海づり公園最高!


雄大な桜島を眺めながらの釣りは最高の贅沢ですね~。
おととしの台風で釣り台が水没した鹿児島市の鴨池海づり公園が復旧工事を終え、
今月初旬、約2年3か月ぶりに営業を再開しました。
早速私も息子2人を連れてピカピカに生まれ変わったばかりの海づり公園に行ってきました。




仕掛けは単純。

餌のキビナゴを2センチほどの大きさに切っておもりとともに海底へ沈めるだけ。

すると二男(3)の竿にピクピクッとすぐにあたりが!!
「パパ重いっ!!」
引き上げてみると20センチほどのアラカブがかかっていました。




長男(6)も奮闘し、結局アラカブが大小4匹釣れました。
4匹は煮付けとなり、我が家の晩御飯へ(笑)。



手軽に釣りを楽しめる海づり公園、最高です!!

2007年11月09日

竹かごのぬくもり

しなやかでぬくもりのある竹製品。
素朴で懐かしい感じがしますよね。実はこの竹かご、私の手作りなんですよ。
8日に鹿児島アリーナで開幕した「全国伝統的工芸品フェスタ」(~11日まで開催)の体験コーナーで作ったものです。
網目部分はある程度編み上がったところからスタートしました。
それでも複雑に組まれた竹を見ているだけで目が回り、すぐに手が止まってしまいます。
竹が折れないように霧吹きで水をかけながら慎重に編み上げていくと・・・
職人さんの手ほどきを受けながら、約1時間30分でこんな立派な籠が完成しました!!
丁寧に指導してくださった職人さん、本当にありがとうございました。
竹製品は使えば使うほどいい味が出てくるといいます。
パンを入れたり、果物を入れたり・・・。我が家の食卓を飾る新しい仲間となりました。

大事に使っていきたいと思っています。

竹かごくん!末永く宜しく!!

(一緒に竹かご作りをさせていただいた鹿児島工業高校のみなさん、突然の飛び入り参加にもかかわらず、快く仲間に加えていただきありがとうございました!)

2007年09月28日

リアルタイムが変わります!

きょうからKYTニュースリアルタイムが変わります!先月一杯でKYTを卒業した徳住有香キャスターにかわり、新たに近藤久美子キャスターとともにお伝えすることになりました。私も近藤キャスターも鹿児島出身。1994年のKYT開局以来、夕方のニュースを県出身者の2人がお伝えするのは初めてです。そして2人とも開局1期生なんです。KYTとともに歩んできた2人。新たに生まれ変わったリアルタイムにご期待ください!!

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