「犯人は3人。名前は・・・」
2005年4月末のことです。
公園のベンチに座りながら男性は落ち着いた口調で話し始めました。
最初なんとなく耳を傾けていた私は、
10分もするとノートに必死にメモを取っていました。
事の始まりはSと名乗るホームレスの男性からかかってきた1本の電話。
「3億円事件について話したいことがある。」というものでした。
3億円事件とは今からちょうど40年前のきょう、
1968年12月10日に東芝府中工場のボーナス約3億円を積んだ現金輸送車が
ニセの白バイ警官に車ごと盗まれたという大事件のことです。
私はJR鹿児島中央駅裏の公園でS氏と会いました。
S氏は長く伸ばしたヒゲに触れながら冒頭の言葉を切り出したのです。
「犯人は単独犯ではない。白バイは2台あったんだ。」
S氏は直接犯行にはかかわっていないものの、
盗んだ金をある場所から別の場所に移す作業を手伝わされたというのです。
犯行にかかわった3人の身上経歴、犯行が計画された背景、
犯行前の準備、犯行前と犯行後の行動、証拠隠滅の方法、
盗んだ金の保管と配分、3人のその後、残った金の保管場所・・・。
何を質問しても流れるように自然な答えが返ってきました。
証言の矛盾を突こうとわざと時間を置いて再び同じ質問をしても
「さっき言ったでしょ、それをやったのは○○!」と
S氏は整然と答えたのです。
彼の証言はなにもかもが具体的で実際に事件にかかわっていなければ
語りえないと思えるほど真実味を帯びた内容でした。
「ひょっとしてこれは世紀の大スクープなのかな?」
胸が躍りました。気がつくとS氏への取材は4時間に及び、
ノートのメモは7ページを超えていました。
S氏の目的は2つ。
①「犯行にかかわった3人のうちの1人が鹿児島にいる」との情報があり、
一緒に捜してほしい。
②「盗んだ金の一部が残っているので
隠した場所に一緒に行ってほしい」というものでした。
私は連絡用のテレフォンカードをS氏に手渡し、
ゴールデンウィーク明けに電話をもらう約束を取り付けて別れました。
しかし、S氏から再び電話がかかってくることはありませんでした。
その後、在鹿のマスコミ各社や九州各地のテレビ各局に
S氏から同じような情報提供があったことを知りました。
中には「拾ったテレフォンカードで電話している」と
連絡が入った社もあったそうです。
(私が渡したテレフォンカードでしょうか?)
さらにS氏の証言は数ある3億円事件を扱ったフィクションの1つに
よく似たものがあることも聞かされました。
にしても具体的で迫真に満ちたS氏の証言。
その証言が真実か否か、
今となっては確認することはできません。
私は毎年、きょう12月10日を迎えるたびにS氏のことを思い出します。
S氏との出会いは私にとってもう1つの「3億円事件」なのです。